震災

南三陸町に行ってきて

年末に南三陸町に行ってきた。身体を休めるために両親と家族とで温泉ホテルに1泊してきたのだが、そのホテルには語り部バスというのがあって、南三陸町の震災時の状況と現状を語り部のお兄さんが説明してくれるバスが出ていて、それに乗って回ってきた。 約1…

震災日記35

娘の合格者発表を見に夜行バスで東京へ行って、アパート探しをしたり、仙台に帰ってすぐに大学院の2次試験の監督があったり、娘の生活用品を揃えにショッピングしたりと、ここの所休む暇もなかった。3月いっぱい娘が東京に立つまでこの忙しさは続きそうで…

震災日記34

予想もしなかったが、冬休みはK先生の手紙をきっかけとして震災について再び思いをめぐらせる日々となった。ちょうど年末で一年を振り返る特集番組などもあって、そのことも要因となっている。 K先生の手紙の一節には平穏だった「過去の記憶」と過酷な「現在…

震災日記33 恩師よりの手紙

数日前に大学院時代の恩師であるK先生から震災以後の様々のお見舞いへのお礼状が届いた。K先生はワープロを使うのができなかったはずなのだが、今年になって勉強したものかワープロでA4用紙6枚にわたる長大な礼状であった。 そこには震災以後の様々な方々か…

震災日記32

少し時間ができたので、仙台港周辺から閖上(ゆりあげ)まで仙台周辺の海岸部を回ってみました。6ヶ月経って、ガレキの整理や、津波に呑まれた車、船などの片付けはずいぶん進んでいて、被災した家屋なども撤去されたものが多く、被災地はまっさらな造成地に…

震災日記31

だいぶ震災日記の間が空いた。 日常生活を送っているぶんには、震災の直接的な影響はだいぶ少なくなった印象がある。個人的には6月中旬を過ぎた辺りから、平常のペースに戻り授業や雑事などが次々に入ってきて、余裕がなくなって来ている。ある意味で3月か…

震災日記30

心理学で、震災後(など)に来る心的な状態を「多動期」というものらしい。何かいても立ってもいられない状態と言うべきか、安定を欠いて何かをしなければならないような衝迫に駆られるような状態のことを言うらしい。 震災後、被災者に限らず多くの人がその…

和合亮一の詩から

「私は 震災の福島を 言葉で 埋め尽くしてやる 『コンドハ 負ケネエゾ』」

震災日記29

久しぶりの震災日記。仙台では、この頃は目に見えて新しい動きということは少なくなっている。大きな被害を受けた施設や商店が復旧を終えて、次々に再開している所でほぼ街中に行くと以前の賑わいを取り戻したように見える。ただ、目に見えたニュースのよう…

震災日記27

今日は3度目のボランティアに行って来た。大学院生の4人と一緒。 場所は以前と同じ宮城県亘理町荒浜。ほぼ1ヶ月ぶりに同じ場所に行ったことになるが、1ヶ月で復旧が進んだかと言えば思ったより進んでいない印象。 緊急の自衛隊部隊は見えなくなり、重機も入…

震災検証1 熊谷達也

震災後の様々な人物の活動を、これから検証していきたいと思っています。第1弾は仙台在住の作家・熊谷達也。 4月16日 河北新報「3・11 震災と作家たち」に「東北の怒り」掲載(超・必見) http://iwanttofinishbigwork.blog29.fc2.com/blog-entry-1762 5月3…

震災日記26

一昨日、仙台駅に行ってみた。駅はまだ応急処置の痕跡はあるものの、ほとんど以前のにぎわいを取り戻していた。週末と言うこともあってか、多くの男女がせわしなく行き来するのは震災前の日常を思い出させる。宮城県だけで1万人以上の人々が亡くなったけれど…

朝日新聞 声欄 「福島の高校生の絶望聞いて」 定時制高校教員(福島市 44歳)

ある授業で少し原発のことに触れた。「3号機が不調のようだね」と言うと、4年の男子生徒が怒ったようにこう言った。 「いっそのこと原発なんて全部爆発しちまえばいいんだ!」 内心ぎょっとしつつ、理由を聞いた。彼いわく「だってさあ、先生、福島市って…

「3・11以後、現れる”われわれ”の”差異”」

シン・ジヨンさんという東京在住(おそらく)の韓国人の筆になる文章。原題は「3・11 이후 드러나는 우리"들", 차이"들"」というもので、われわれ(たち)、差異(たち)の複数形に傍点が打たれている。『スユノモ』という韓国のウェブマガジンに発表された…

震災日記25

なかなか新学期が始まると、平日にはブログを書けなくなるので、少し日記を書いておく。 今回の震災で、東北地方に限らず多くの人たちが怒りや悔しさの感情を表明している。無慈悲な自然や津波にすべてを失ったことへの、どこにも行き場のないような怒りや悔…

震災日記24

先週の週末に続いて、2度目のボランティアに行って来た。 先週は親戚の家に行ったのだが、今回はボランティアセンターに登録して行く本格的(?)なボランティアを経験した。ボランティアセンターに集まった100人前後の人々の前で、係りの人がどこの地域のど…

震災日記23

震災から今日で2ヶ月。最初の1ヶ月と比べると、この2ヶ月目の時間の流れはずいぶん緩やかになった。まだ時折ヘリコプターが飛んだり、救急車が走っていく音はあるが、ほぼ平常時に近づいてきた実感がある。 今週から新学期が始まったので、昨日今日と授業が…

震災日記22

今日は宮城県亘理郡荒浜にある親戚の家に赴いて、津波被害の後片付けを手伝ってきた。院生3人を連れて行き、要するにボランティアをしてきたというわけ。 亘理郡荒浜はかなり致命的な津波被害を受けた地域で、海岸に面した部分は廃墟を思わせる光景だった。…

震災日記21

連休は実家に顔を出し、買い物をして終わりそう。いよいよ明日から新学期が始まり来週からは授業も始まることとなる。(震災のために開始が遅れても、15週きちんとやるために夏休みが縮まることとなる) 連休にスーパーや、家具の量販店、DIYの店などに行…

震災日記20

冷静で冷酷な話をすれば、復旧によって本質的に新しいものが生まれるということはない。それを復興というふうに呼び替えても同じである。災害による復旧/復興とはそれ以前の流れの延長線上にあるにすぎないし、それを加速するにすぎない。 自分の周囲の復旧…

震災日記19

今回の震災後、多くの人が戦中や戦後直後との類似を述べている。焦土と化した戦中の都市と今回の津波被害の被災地とのヴィジュアル的な類似からだろうか。あるいは総力戦で戦ってきた戦争(経済戦)が敗北に帰したという意味合いもあるだろう。しかし、敗戦…

震災日記18

今日は書店に行って川村湊の新刊『福島原発人災記 安全神話を騙った人々』(現代書館)を買ってきた。震災後に急遽書かれた(書くことを思い立った)本で、わずか1ヶ月半での刊行だからすごい。3月11日から25日までの日録風になっているが、そうすると書いて…

震災日記17

とうとう新幹線が仙台まで再開しました! 45日での復旧、感慨深いものです。 仙台空港も一応こないだ応急復旧したので、これで一応交通のインフラは復旧できたことになります。 コンビニ、スーパーなども空いている棚は目に付かなくなったし、余震の頻度もず…

気仙沼での津波の押し寄せる模様

津波の映像は内心もうあまり見たくないのですが、この映像はとても言い表せないほどショッキングで戦慄しました。 http://www.dailymotion.com/video/xhtvtc_new-shocking-video-of-the-japanese-tsunami_news

震災日記16  飢餓感について

仙台の様子は、だいたい60〜70パーセント位復旧が進んだという所。すぐに復旧できる個人住宅や商店はほぼ復旧を終え、大きな施設や建物はまだ手付かずに残っている。交通、食料品、燃料類はほぼ震災以前の状態に近づいて、スーパーも空白の棚が目立たなくな…

震災日記15 

フェイスブックで書いていた震災日記をこちらで続行することにする。 ようやく研究室の復旧・整理が一段落したので、いくらか平時の日常に復帰することができるようになった。そこでまずやりたいと考えたのが、ブログの開設であった。ホームページを立ち上げ…