震災日記26

 一昨日、仙台駅に行ってみた。駅はまだ応急処置の痕跡はあるものの、ほとんど以前のにぎわいを取り戻していた。週末と言うこともあってか、多くの男女がせわしなく行き来するのは震災前の日常を思い出させる。宮城県だけで1万人以上の人々が亡くなったけれども、それを乗り越えて人々は進んでいく。人間の力は逞しいものだ。皮肉ではなく。

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 震災は、人々の感性的な面でも多くの変化をもたらした。東北だけでなくおそらく全国的に感性の軸が大きく先祖帰りしたように思われる。坂本九の歌が急にリバイバルしたり、金子みすずの詩が流行(?)したりするのはその現われだろう。だいたい4,50年くらい先祖帰りしたのではないだろうか。
  
 個人的にも、感性的な部分での変化は大きかった。なぜか詩と音楽に深く惹かれるようになり、震災後の混乱の中で詩を読んでいたし(宮沢賢治、余光中)、多くの時間を音楽を聴いて過ごすようになった。それまであまり興味のなかった合唱曲に胸を打たれるようになったのも大きな変化である。
 
 そこから推して考えれば被災地で音楽が求められるのも不思議ではない。音楽は人の心を癒し、共同感を与えてくれる。感性的な共同感を与えてくれるのだ。だから、もっともっと被災地に合唱団や歌手たちが行けばいいと思っている。文学者もみずからの詩や小説を持って、被災地に赴いたらいいのではないかと思うのだが、どうだろう。
 
 今の日本では、音楽がそのように感性的な共同感を与えるのに一番効果的なように見える。ただ、金子みすずの詩や宮沢賢治の詩が人々の心に訴えたように、文学も共同感を生み出す役割を今なお果たしているとは言えるだろう。
 
 たぶん、韓国でこの震災が起こったならば、音楽家や文学者はこぞって慰問部隊を作って被災地へと乗り出しただろう。直接避難所を回って演奏し、詩の朗読を行って回ったことだろう。それほど韓国での文学(詩)の位相は高く、人の心に訴える直接性を持っている。それにくらべれば日本の文学(詩)は共同性を失っていると思えて仕方がない。
 
 今回の震災は、ある意味でとても文学的な素材に満ちみちているし、文学者たちはその素材に全身でもってぶつからなければいけないはずである。今のところ、全身でこの震災に立ち向かっている文学者は寡聞にして聞かないようだが、どうだろう。福島の玄侑宗久さんが作家としてと言うより僧侶として活躍しているが、作家的な試練として捉えているかはよく分からない。
 
 おそらく震災を扱った文学はいずれ出てくることだろう。数ヵ月後、数年後に震災文学とも呼べるものが登場することだろうが、今この場で文学ができることを探し、全身でぶつかるそんな文学者が出てくることを期待しないではいられない。被災地を巡り歩き、ルポルタージュを書きまくり、人々の心に癒しと救いを与える、そんな力が文学にまだあると考えるのは夢想だろうか。
 
 ある意味でこの震災は極限的な意味での存在価値を個々の人間に問うたと言ってもいい。文学者にしてもそうだし、音楽家、芸術家にしてもそうである。誰がこの試練を乗り越え、よく応えるかで、その後の彼(彼女)の運命は変わってくることだろう。文学の運命にしてもそうだし、音楽などの運命にしてもそうなのである。