日本の悲劇の根源

 
 日本の直面している問題の多くは、日本の構造的な二重性に根拠を持っている。どういうことかと言うと、憲法では「非戦」を唱えつつ、現実では自衛隊というまぎれもない軍隊を保有したり、また中国・韓国に対して謝罪を繰り返しつつ、その裏ではヘイトスピーチを放置したり、政治家のいわゆる「妄言」を止められないような事態のことである。
 
 このような二重性は多くの場面に見られるもので、実は日本の文化に組み込まれた二重性だと考えた方が分かりやすい。日本人の行動および思考はそのような二重性に取り巻かれているのである。
 
 建前と本音というようにも言われ、加藤典洋によれば「ジキル氏」と「ハイド氏」とも呼ばれるようなこの二重性はどこから来ているのだろうか。この二重性を根本において究明し、解決しなければ日本の直面している困難な問題は解決のしようがないのである。
 
 しかしこの二重性は奥が深く、日本の歴史を通じて見られてきたものであり、それを根源にまで遡るのは容易ではない。天皇と幕府の二重権力にしてもそうだったし、和語と漢語、漢字とひらがな、カタカナの関係にまでそれは辿られるものである。
 
 おそらくそこには外来の文物に対して、それを優位なものとして受け入れながら、その理念を脱臼させ、技術的な問題として変換するような日本の土着的な感性や受容態度が関わっているのだろうと思われる。
 
 漢字を受け入れながら、それをひらがなに崩して、あるいはカタカナとして変容させ、和語に適応させるような態度のことを指している。漢字の一義的な意味は、二重化し、和語の訓読みと漢語の音読みとが併用し、共存していく。そのような漢字の受容に象徴されるような二重的な受容が、日本の歴史を通じて行われてきたのである。
 
 近代以後、戦後にかけても全くその構造は変わっていない。戦後の民主主義や戦争放棄も、そのような二重的な受容の中で、いわば「和語化」されて、本来的な理念とは離れたものとなっていく。
 
 だからそこには、日本の文化的な受容の問題が、根本に存在していると見られる。ひらがな、カタカナ的な変容にその根源が見られるように思われるのである。その二重的な受容の根源に遡らなければ、現在の問題も解くことはできないと考えられるのである。