震災日記20

冷静で冷酷な話をすれば、復旧によって本質的に新しいものが生まれるということはない。それを復興というふうに呼び替えても同じである。災害による復旧/復興とはそれ以前の流れの延長線上にあるにすぎないし、それを加速するにすぎない。
 
自分の周囲の復旧/復興の経験から推し量れば、それ以前にあった様々な要素のうち、いくらかのものを捨てたりまた新たに付け加えることもあるが、まったく新たな発想で別の秩序を作るとか別の空間を組み立てることは不可能である。ただ、災害によっていくらか自由な空間ができたぶん、そこには以前どこかで空想していた要素が加わったりすることはある。しかしそれは以前の秩序や流れの範囲内にあり、それを組み替え加速するのにすぎないと思われる。
 
東北地方の甚大な被害を見て、中央ではそれを「復興」するアイディアを出す予定らしい。復興構想会議を立ち上げ、知識人・建築家・大学教授らの復興プランを試みるもののようである。おそらく戦後復興の例に倣い、焼け跡(今回は高台らしいが)に新たな道路を作り新たな街並みを作りたいもののようである。
 
多くの復興資金が投入され、被災地では新たな街並みが再生/新生されることだろう。元の街並みをできるだけ生かす場合もあろうし、また実験的なエコ都市が試みられるかもしれない。もちろんいくつかは成功するものもあるかもしれない。
 
しかし、あらかじめ分かっていることはそれらの復興計画がこれまでの流れを断ち切ることはできないということだ。それ以前の必然に従って、それを加速する方向で復旧は行われるしかないのである。それはどういうことだろうか。
 
被災地の多くは東北地方の中でも産業基盤が弱く、交通・教育等のインフラも整っていない地域であったことは改めて述べるまでもない。三陸沿岸の海岸部は元々平地が少なく、点々と中小の都市が散在している地域であった。福島県の沿岸部も事情は似ている。原子力発電所を受け入れたのにはそのような産業基盤の弱さが関わっている。
 
そのような地域を今回の震災は直撃した。まさに弱い環を災害は直撃するのである。これらの被災地に巨額の財政支援を行い、復興を成し遂げるとしても、そこに新たな産業や交通・教育等の複合的なインフラを構築することは夢に過ぎない。
 
そうすれば復興の結果は見えている。以前の過疎化・地域の空洞化がそれ以上の速度と加速度で進む意外に道はありえるだろうか。 今回の震災は冷静で冷酷な眼で見る限り、三陸沿岸部の地域的な衰退を加速化させる以外のものではないし、それは巨額な復興資金を投入したところで止めることはできないだろう。
 
悲観的にすぎるだろうが、今回の震災は特に東北地方という弱い地域に致命的なダメージを与えたという点で特記されるべきである。政策や財政のバックアップがあったとしても、地域の衰退と崩壊を止めることは限りなく難しい。仙台でさえもこの震災の痛手から無傷でいることは不可能だろう。5年後、10年後には新たな力強い復興の流れが見えてくるだろうか。今のところ、それには限りなく悲観的な思いである。
 
人、物、燃料が震災後、一挙に途絶え、東北は孤立した。それらは一時的に避難したのかと思っていたのだが、だんだん時間がたつにつれ、それらの避難は長期化するのではないかと思うようになった。震災によって地域基盤が崩壊し、さらに放射能汚染によって荒廃した地域に、再び人、物、資本の流れが呼び寄せられるだろうか。10年、20年、衰退以後の流れが見えてくるまで、加速的な崩壊が続くだろう。震災は地震津波以外にも地域自体を巨大な力で破壊したのである。