震災日記34

 
 予想もしなかったが、冬休みはK先生の手紙をきっかけとして震災について再び思いをめぐらせる日々となった。ちょうど年末で一年を振り返る特集番組などもあって、そのことも要因となっている。
 
 K先生の手紙の一節には平穏だった「過去の記憶」と過酷な「現在の記憶」との折り合いがどうしてもうまくつかないという文章があった。その「過去の記憶」と「現在の記憶」がうまく折り合いがつかないというのが、K先生の手紙の大きなモチーフだと言ってもいい位、そのことをめぐっての思索が続けられていた。
 
 自分でも年末に至って、震災の記憶と現在の記憶、そして震災以前の記憶とをうまく整理しようとしてもそれは事のほかに難しいことを改めて実感している。震災の記憶をうまく過去と現在の記憶の遠近法の中に位置づけることはきわめて難しいのである。
 
 震災から9ヶ月以上経って、ある時にはずいぶん遠くへと来たという思いを抱くときもある。年末のイルミネーションや繁華街の人出のにぎわいを見ると、あの震災直後の物流が途絶え、ほとんどの店がシャッターを閉めていた日々からずいぶん遠くまで来たものだという思いがする。しかし、その感覚はすぐに別の思いに取って代わられる。ガソリンを求めるために6時間並んだ場所を通りかかると、すぐにその時の感覚は蘇るし、スーパーに行列した所や取り壊された建物、傷んででこぼこになった道路、段差ができた橋たち、などは見ようと思わなくてもあちこちに存在しているし、それらを見かけるたびにいつも震災直後の感覚は蘇ってくるのである。
 
 今年の後半はずいぶん例年より過密なスケジュールとなって、それなりに自分では立ち上がって行ける所まで行こうと思ってやってきたが、それも時によって空しい努力だったのではないかと感じられることもある。結局、立ち上がって早く次のステージへと行こうと努力してきたが、そこには震災の記憶から早く逃れたいという欲望があったわけである。そのことはつまり言い換えれば、震災の記憶から本当は逃れてはいなかったということだし、すぐそばに震災の記憶が存在していたということだったのである。そのことを思うときに、空しさの感覚がやってくる。
 
 おそらく立ち上がるということはジグザグの歩みなのだろう。少し立ち上がっては、またしゃがみこみ、それでもまた立ち上がるということの繰り返しなのだろう。おそらく時にしゃがみこむことは、また立ち上がるための必要不可欠なステップなのだと考えるべきなのだろう。震災の記憶も、そのようなジグザグの試行錯誤の中で、だんだんと風景のようになっていき、記憶の遠近法の中へと回収されていく日がやって来るのだろう。そのことを信じて、遥かな思いの中を一歩一歩進んでいくしかないのである。