明けましておめでとうございます

 
 2012年が明けました。まだ新年を迎える準備ができていないうちに無理矢理前に押し出されたような気もしますが、ともあれ新年が喜びと希望と愛に満ちた年になりますよう、お祈りいたします。
 
 年末は年賀状などを書きながら、震災の記憶を整理しようとしながら過ごしたと言っていい。改めて震災の記憶と対面し、そのうちでももっとも辛かった記憶たち、つまり震災から3週間目くらいまで、大学は調査のため立ち入り禁止で、街は店がほとんど閉まっていて、どこにも行きようがなかった時期、そして食料を求めるのもガソリンや灯油を求めるのも何時間も行列しなければならなかったあの時期のことを追体験した。何とか電気は復旧したものの、ガスは不通で風呂に入ることもできず、ただインターネットとフェイスブックだけが救いだったあの時期のことである。
 
 仙台は大きな被害はなかったと言われるが、しかしあの時期を思い出すと仙台全体が避難所生活と変わらなかったと思える。自分の力では何もできず、ただ当てもない時間を待つことだけしかできなかった時間、無力感と焦燥感とそして何かしなければいけないという衝迫のようなものが交錯し、とても気持ちが不安定になった時期でもあった。
 
 しかしあの辛かった時期を体験できたことは、今から省みればとても大きな財産となったように思われる。当時も「震災の恵み」ということを考えていたが、震災によって苦難を共有することで多くの人との連帯感が生れたし、他者の悲しみや苦しみにとても敏感になって感動することも多くなったからである。
 
 音楽を聞き始めたのも、その時期のことである。被災地への音楽のメッセージはとても心に響いたし、また仙台をはじめとした被災地から美しい合唱曲なども生れた。音楽は傷つき、疲れた人々の心にとても沁みいることを実感したのである。
 
 2011年の後半は前にも書いたが前半のしわ寄せが来て、過密に忙しくなったが、しかし音楽を聞く習慣と、他者の悲しみと痛みに連帯したいという強い欲求はずっと続いていた。それらも「震災の恵み」であると思う。
 
 今年もそのような「震災の恵み」が続くように、強く強く願っている。辛い時期、不安定になって家人と喧嘩をしたりもしたが、その後苦難をともにした連帯感で家族の中も前より固く結ばれたように思える。長い眼で見れば震災は多くのよい変化をもたらしたのである。
 
 新年に希望と愛が皆様の上にありますよう、お祈り申し上げております。