南三陸町に行ってきて

 
 年末に南三陸町に行ってきた。身体を休めるために両親と家族とで温泉ホテルに1泊してきたのだが、そのホテルには語り部バスというのがあって、南三陸町の震災時の状況と現状を語り部のお兄さんが説明してくれるバスが出ていて、それに乗って回ってきた。
 
 約1時間の行程で、南三陸町の町の中心部と戸倉地区という特に被害のひどかった地区とを回って、当時の被害の大きさと今現在の状況とをほぼ体験できるようになっている。バスからではあるが、ゆっくりと町の中を走ってくれるので、参加者たちはカメラで町のあちこちを写すことができる。重要な所ではバスを止めて解説を丁寧にしてくれる。
 
 解説をしてくれる語り部のお兄さんは渡辺さんという方で、1時間の間ずっと当時の状況から始まって、ホテルの状況や、彼個人の家族と連絡をしばらく取れなかった状況のことや、ようやく再会できた時のことなどを、途切れなく話してくれるのでかなり生き生きと当時の状況を追体験できるようになっている。語り部の名前にふさわしい1時間の体験だった。
 
 他の被災地の状況から予想はしていたが、やはり町の中心部はまったくのだだっ広い空き地となっていて、ほとんど家の基礎も残っていない状況だった。一部橋げたなどの震災の残骸は残っていたが、主ながれきの処理は済んでいて、中学校や役場などの建物なども撤去されほとんど残っていない。町があった所が巨大な空き地となっていると考えればよい状況であった。
 
 すぐにでも復興が進まない理由は、津波被害を受けた地域には家や商店の再建は認められない規制がかかっていて、そこはかさ上げをした上で工場や公園、公共施設などの地区にされるということのためだそうである。個人の住宅は高台に移され、そこから中心部に通うことになるわけである。この計画自体にも色々問題があって、集団移転に関わる問題がまとまらないことなど、多くの時間がかかり、その間にも人口流出は進んでしまうそうである。復興が遅れれば遅れるほど、そのような悪循環は進んでいくのである。
 
 現在は何十か所もある仮設住宅に住民たちは分散しており、町の復興を待っているという状況である。テントや仮設店舗で商店は再会しているが(ちょうど今日は復興市があった)、仮設住宅に関する色々な不便さや問題も話してくれた。だいたい高台を切り開いたりして作ったので、とても不便なところが多く、また特にお年寄りたちが新しく仮設住宅の環境に慣れるのには大変な苦労があるとのことだった。
 
 語り部の渡辺さんは二人の子持ちで(一人は今年生まれたばかり)、そのような個人的な事情もずいぶんと話してくれたのだが、子供たちにとっての震災後の環境変化ということも考えさせられる点だった。南三陸町は海に面していて、海水浴場や海際の公園などの遊び場が多かったのだが、それらがみな使えなくなってしまい、子供たちの環境はずいぶん悪化しているようだった。小学校や中学校も現在他の学校に仮の教室を設けて通っているのだが、校庭にも仮設住宅があるため、遊び場や自由な空間が制限されているためのストレスが大きいということだった。
 
 一番心に残ったのは、このバスツアーに参加した人たちにぜひ南三陸町の現状を伝えてほしいという渡辺さんの言葉だった。ぜひ一人以上の人に今日のツアーで見たこと、感じたことを伝えてください、という言葉は切実なものがあった。そして南三陸町に外から人々が来てくれることだけで意味があり、何か町で買い物でもしてくれることだけでも住民にとって大きな助けになるとのことだった。
 
 どこの被災地でも言われることだが、震災の記憶が風化してきて、ニュースなどでは他の新しいニュースに埋もれて現状を知る機会はとても少なくなっている。南三陸町自体の発信力は限られているので、どうか外からの人々に来てもらって一人でも多くの人に伝えてほしいという欲求は切実なものに聞こえた。本当はメディアなどに対する理不尽さや怒りの感情もあるはずと思われたが、表面上は穏やかにそのようなメッセージは伝えられたのである。
 
 私が個人的に感じたのは、震災以来ずっと感じてきたことの延長線上の感情だが、やはりメディアなどに対する理不尽さという印象であった。この南三陸町のような状況が、おそらく関東圏や首都圏の近くで発生したのならば、より切実な問題として全国的なメディアの中で発信されより多くの注目を集めえたはずである。しかし、この三陸海岸での多くの状況はメディアにも乗ることが少なくなり、仙台圏のメディアでも最近では被災地の現状については触れられることが少なくなっている。
 
 このようなメディアの理不尽な扱い方、中央から距離的、心理的に遠いことによる扱い方の厚さ薄さということが、何度接しても理不尽な印象をもたらすものとして存在している。たとえて言えば一票の格差憲法違反と言われるが、メディアの扱い方の格差もまた基本的な人権の問題に関わってくるような問題ではないのだろうか。中央でメディアに乗ることがなくなれば、存在自体が忘れられていく、復興が大丈夫進んでいるのだろう、というような認識の中で忘却されていくというのは理不尽と言わずして何だろう。
 
 年末年始の番組で、震災のことを取り上げるような番組はほとんど見られない。中央の関心はすでに震災を過去のものと見なしているかのようである。あるいは視聴者の意識の問題が先なのか、メディアの意識の問題なのか、それは分からない。しかし、年末に今年一年の被災地の状況を報道できないようなら何のためのメディアだろうか。
 
 その辺の理不尽さの思いが改めて今日感じたことだった。