「3・11以後、現れる”われわれ”の”差異”」

 
 シン・ジヨンさんという東京在住(おそらく)の韓国人の筆になる文章。原題は「3・11 이후 드러나는 우리"들", 차이"들"」というもので、われわれ(たち)、差異(たち)の複数形に傍点が打たれている。『スユノモ』という韓国のウェブマガジンに発表された文章。
 http://suyunomo.net/?p=7775
 
 3・11以後に漠然と感じてきた色々な割り切れなさや悔しさと言った感情を、この文章は明瞭に明かしてくれる。3・11以後明らかになったのは、この”日本”に覆い隠すことのできない差異が書き込まれていて、その差異のあちら側とこちら側とでは、被害の規模も感情も、そして情報も異なっているという実感だった。
 
 東北地方は大きな被害を被ったが、その中にもさらに大小の差異が存在している。沿岸部と内陸部、都市部と農村・漁村部、在日外国人、移住労働者、原発被災地の避難民たち、等々。そういった差異を直視し、架橋しなければいけないのだが、マスコミにしてもわれわれの意識にしても、その差異を直視するほどに強靭ではない、というのが本当のところだろう。
 
 しかし差異は存在している。そしてその差異の中に、悔しさや怒りや絶望が存在している。差異の構造を明らかにし、それを公然のものとしていく以外にその絶望から脱却する道はない。
 
 東北の内に引かれた”差異”、東京の内に引かれた”差異”、それをいとも簡単にわれわれは忘れてしまう。「がんばれ日本」というスローガンの内に覆い隠されているのはそのような”差異”である。内国植民地としての東北、そこから流民として他地域に出て行った人たち、流民として流れてきた原発労働者たち、東北在住の朝鮮・韓国人たち、アイヌ人たち、そのような”差異”の線を無数に重ね合わせ、総合していくことの中にわれわれの希望は見えてくることだろうし、そこにしか3・11以後の東北地方が味わった悔しさと絶望とを癒していく道はないのである。