震災日記25

 なかなか新学期が始まると、平日にはブログを書けなくなるので、少し日記を書いておく。
 
 今回の震災で、東北地方に限らず多くの人たちが怒りや悔しさの感情を表明している。無慈悲な自然や津波にすべてを失ったことへの、どこにも行き場のないような怒りや悔しさの感情のことである。
 
 また、原発事故やその後の対応に対しても多くの人たちが怒りや悔しさの感情を記している。
 
 ただ、怒りや悔しさという感情は、きわめて個人的な情感であるらしく、それぞれがそれぞれの文脈で怒りの感情を持ったとしても、それが共有され普遍化された怒りへと昇華されるかというとそうはならない所がある。
 
 悲しみという感情は、それに対してある程度共有され普遍化されることができるもののようで、家を失い肉親を失った人の感情をめぐっては、悲しみを共有しまるでわが事のように悲しむことがおそらく可能である。
 
 しかし怒りや悔しさという感情は、もう少し個人的な感覚(個体的な感覚)に基礎を置いているので、なかなかその怒りor悔しさの根源に遡り普遍的なものへと至ることが難しい。
 
 例えば、個人的に震災後、数日後に電気が復旧し、テレビやコンピューターを見られるようになり、そこで情報を一挙に入るようになったときに、ひどく不安定な気持ちになった。むしろ情報のなかった時のほうが心理的には安定していたと言ってもいいほどであった。
 
 すぐ目の前の海岸部での惨状を映像を通して知ったことも不安定の要因だが、もう一つ他地域での日常を知るようになり、震災直後もテレビ・新聞等のメディアが続いていることを知ったときのショックは、被災地の状況を見たショックにも劣らないものであった。
 
 仙台では情報もなく、ライフラインも途絶し、孤立した状況下にあった時に、西日本はともかく首都圏でもテレビ映像を見て、ニュースで津波が襲う状況をリアルタイムで見ていたとは! このショックはきわめて大きなものであった。
 
 このショックは、少しして怒りor悔しさの感情に転化していく。災害とは元々理不尽なものだが、無傷の地域ばかりでなく、首都圏を始めとした軽度の被災地に対してもなぜか大きな怒りor悔しさの感情は向かっていったのだった。
 
 仙台在住の熊谷達也(作家)がその名も「東北の怒り」というエッセイを河北新報に連載したのはその頃である。http://iwanttofinishbigwork.blog29.fc2.com/blog-entry-1762.html
首都圏のマスコミ等の言葉が、ひどく無慈悲に聞こえ、悲しみと怒りを増幅させた。思えば事態を始めから客観的に見れた首都圏(や西日本)と手探りで身の回りのことしか見られなかった東北地方の人との言葉の差・視角の差はきわめて大きかったのだ。
 
 そこで感じたのはほとんど絶望に近い感情だった。怒りとは絶望に近く、その感情を対象化するのが難しいのである。熊谷達也もそう言っていたが、むしろキレて泣き喚いたほうがいいのである。
 
 そのような感情は震災後、幾度となく訪れた感情であった。2ヶ月を過ぎて、だいぶ怒りからは遠ざかってきたが、海岸部の被災地の方々は今もまだ同じような感情を抱いていることだろう。あるいは早く復旧した仙台などの都市部への怒りor悔しさも持っていることだろう。それを思うと、ひどく悲しいし、理不尽な思いが湧く。災害は不均等であり、それが怒りpr悔しさを生み出すのである。怒りの連帯は可能なのだろうか?