震災日記22

 今日は宮城県亘理郡荒浜にある親戚の家に赴いて、津波被害の後片付けを手伝ってきた。院生3人を連れて行き、要するにボランティアをしてきたというわけ。
 
 亘理郡荒浜はかなり致命的な津波被害を受けた地域で、海岸に面した部分は廃墟を思わせる光景だった。まだ、荒浜への入り口では交通規制をしていて、許可証が必要との事だった。手伝いに来たというと入れてくれたが。
 
 町はまだがれき撤去の段階で、自衛隊の部隊が出動していた。ライフラインも通っていないし、住民が戻るなどという段階ではない。ただ、親戚の家で聞いたら1週間前に水道だけは復旧したと言っていた。
 
 
 仕事はトイレ掃除と、客殿の玄関掃除。親戚の家は寺をしている関係で参拝客が多いので、外に来客用のトイレと客殿があって、それが水没してどろが溜まっているのを掃除するわけだ。
 
 2人ずつの組となって、私は玄関掃除のほうを担当したが、津波のどろはしつこいし、なかなか水没した部分は拭いてもきれいにならない。津波被害の悪質さを実感した。水をかけてブラシで流して、を繰り返すのだが4回ぐらいやってようやく何とかどろが落とせた。(そういえば津波どろはどろとは呼ばずにヘドロと呼んでいる、悪質さを表すためだろう)
  
 朝10時くらいから取り掛かって、昼食をはさんで4時半くらいまでやってようやく客殿の玄関と廊下3分の2くらいを掃除できたといった所。廊下は絨毯があったということだが、それをはずして床板がむき出しになっているのを一枚一枚拭き掃除していった。
 
 今日の成果は津波被害の後片付け、復旧がどれだけ膨大な労力と時間とエネルギーを必要とするかを実感できたこと。母屋ではそれぞれの部屋で、まだ使える物品を取り出して並べてあったが、それを取り出して一つ一つ拭いていくのもどれだけ膨大な作業を必要としただろう。
 
 津波は水が浸水するわけだから、どんな隅々にまでも入り込む。そしてそこにヘドロやがらくたを残していくのだ。本当にたちが悪い。
 
 昼食を食べながら、津波から逃れた体験談も聞くことができた。そこは海から1キロくらい入ったところなので、まったく津波が来るとは予想していなかったと言う。津波が目の前に見えてから車に載って避難したので、ほとんど水に飲まれそうになったと言う。前を行く車の列が波に飲まれて、命からがら高台になっている東部道路までたどり着いたとのこと。
 
 その後の心境などは聞けなかったが、亡くなったり生きながらえたりは運命的なことだと話を聞いていて深く思った。