震災日記32

 少し時間ができたので、仙台港周辺から閖上(ゆりあげ)まで仙台周辺の海岸部を回ってみました。6ヶ月経って、ガレキの整理や、津波に呑まれた車、船などの片付けはずいぶん進んでいて、被災した家屋なども撤去されたものが多く、被災地はまっさらな造成地に似たような雰囲気になっていました。
 
 大型スーパーやコンビニ・工場など資本力のある所はすでに営業再開しているのですが、一歩住宅地に入ると、個人の住宅や商店に関してはまだ手付かずで復旧は全然進んでいない感じです。海岸部の被災地は、盛り土などをして高台化するのか、防潮堤はどうするのか、等々といった国の方針がまず決まらないと動けないということもあるようです。
 
 まっさらになった土地を見ると、自然とゴーストタウンという言葉が思い出されます。この間、「死の町」発言で辞職した大臣がいましたが、人々の生活があったはずの場が無人の場になったのはやはり衝撃的でした。この場所に町が復旧されうるのか、住民は戻ってこられるのか、岩手、宮城の被災地もまた生活が消えたという点で福島と同様に「死の町」であると感じられました。特に夕方になって、電気が通っていない暗い地域に廃墟が広がっている風景を見ると強くそう感じられました。