オーストラリア訪問近づく

 
 この2月中旬にオーストラリアに訪問の予定である。3年前の東日本大震災の時に予定していたのが、震災のために行けなくなったもののリベンジという意味合いである。ちょうど2011年3月13日の訪問の予定だったので、当時は悔しい思いをした。震災当日、仙台市内はそれほど壊滅的な被害というわけではなかったので、何とか行けないものかとあちこち高速バスなどを探し回ったおかしい思い出がある。
 
 というわけで、そのリベンジのオーストラリア訪問まであと半月を切った。2月15日出発の予定である。今日はオーストラリアのビザを取得して(オーストラリアはビザが必要)みたものの、ネットで申請してメールで送られて来るというもので、本当に信用できるものなのかどうか……と心配になる。色々と慣れないことがあって、だんだんと現実味をもって緊張感が高まってくる。日程のこと、準備のこと、インタビュー内容のこと、等々それまでに考えておかなければならないことは多い。
 
 英語圏にはあまり行ったことがないのも不安の種である。気楽に考えていたけれども、やはり考え出すと緊張してくるのは仕方がない。まあ一人ではないし、英語の専門の先生と同行なのであまり心配しないでもいいのだろうけれど。
 
 書類関係、成績関係、入試関係とこの2週間で終えられて、今回は無事オーストラリアに行けますように。

 

 
 

第2次大戦の正しい終わらせ方

 
 NHKラジオ深夜便で元国連大学事務局長の伊勢桃代さんのお話を聞き、たいへんに感銘を受けた。日本語でも格調の高く、志のある言葉を語れる方がいるということ、そのことを知るだけでもどれだけ勇気を与えられることだろう。国連大学で勤務した経験をもとに、様々の含蓄のある言葉を語られていた。
 
 その中でもっとも心に残ったのは、日本が第2次大戦をうまく終わらせられなかったことについて、語っていたことであった。戦後もすでに70年になろうとしている現在、まだ日本は先の大戦を終わらせることができず、ひきずっている。そのことについて伊勢さんははっきりと明確な言葉で語っていた。
 
 彼女の言葉にこめられたメッセージははっきりしている。すなわち正しく先の大戦を終わらせることは可能であり、正しい解決と和解は困難があっても可能である、というメッセージである。そのことに強い感銘を受けた。
 
 正しい「解決」とは何か。それは中国および韓国の求めていることを深い次元で受け止め、それに対応するメッセージを日本が発していくことである。謝罪、個人賠償、等々の問題は実は二の次の技術的な問題なのであり、その手前に深い次元での和解への意志が先行しなければならないのである。
 
 それは、中国国民と韓国国民とに対して和解のメッセージを伝えることに他ならない。例えば韓国の国民が求めていることの一つに、天皇の謝罪ということがある。また、最近とみに焦点となっていることに慰安婦、強制徴用者、被爆者などへの個人賠償の問題がある。それらの要求に対して、日本は一貫して拒絶の立場をとっている。日本の法的な制度(天皇が政治的発言ができない)や、個人賠償は1965年の日韓条約で解決済みという理由に依っている。
 
 しかし、彼ら韓国国民の求めているメッセージは、実は一貫していると考えられる。それは対「韓国政府」ではなく、韓国の「国民」に対しての和解のメッセージ(=天皇の謝罪)と、「国民」に対しての補償を通じた謝罪を求めている、と解釈することができる。言い換えれば、日本は1965年の日韓条約において「韓国政府」に対しては補償・解決をしたが、「韓国国民」に対してはこれまで面と向かってメッセージを発することを怠ってきたのである。解決済みという口実を掲げるだけで、そのような「韓国国民」の求める和解への意志に対して、答えることをしてこなかったと言ってもいい。
 
 つまり、日本が行うべき正しい「和解」への道筋ははっきりしているのである。それは韓国国民に対して、改めて謝罪と補償のプログラムを示すことであり、そのことを首相の対韓国国民への和解への意志として、はっきりと伝えることにある。くり返せば技術的な側面は後の問題として、和解への意志を「韓国国民」に対してはっきりと示すこと、のうちにしかないのである。
 
 おそらく慰安婦、強制徴用、被爆者たちへの個人補償にかかる費用は、それをしないことで被る負担に比べて、はるかにちっぽけなものであるに違いない。そのことを考えれば、正しい和解へのプログラムとして、それらの個人補償を行うことは賢明な判断であるに違いない。そのような和解への道が遠くない将来示されることを強く願うものである。
 
 

10時間勤務

 
 今日は朝の9時出勤で、10時間くらいぶっ続けで仕事をした。こんな日はめったにないのだが、偶然で3人分の論文審査と全学授業の期末試験とが重なったので、そういうことになった次第。さすがに終わるとへろへろになったけれど、なぜか疲労感よりはやり終えた爽快感のようなものが勝っていたようだ。おそらくアドレナリンが分泌されたのだろう。しかしさすがに自宅に帰ると疲れが出た。『明日、ママがいない』を見て、芦田真菜の演技に感嘆して、後はとっとと寝るとしよう。
 
 しかし、このドラマを見て抗議する人がいるということは理解できない。だいたいドラマを見て、これが現実の養護施設の状況だと思うセンスはどうかしている。虚構というものをまったく理解していないとしか思えない。脚本や俳優の演技と言う次元をまったく捨象して、現実と地続きのものと受け取るわけだろうか。どうもそのような初歩的な無理解と錯覚が横行しているように思えてならない。
 
 映画の授業をすると、喧嘩や暴力の場面に顔をそむける学生がたくさんいる。戦争映画で血が出て来るなどという場面は耐えられないらしい。このようなナイーブな感受性をこともあろうに20歳前後の学生が持っていることに驚く。テレビや映画を見るリテラシーを育てられていないのである。これは大人の世界の問題であり、健全なリテラシー(現実の状況に対するリテラシー、大衆文化に対するリテラシー)が社会全般的に低下していることを意味している。日本は歌舞伎や映画の大国であったはずなのだが、いつの間にか社会全般に大衆文化に対するリテラシーはどんどん低下してしまっているようだ。日常的に映画を見る学生などほんの一握りの特殊な存在である。このような若い世代を大量に生み出してしまったことは大人の世界の痛切に反省しなければならない点であろう。
 

清朝末期化する日本

 
 4,5か月も間が空いてしまった。昨年の後期に入って加速度的に忙しくなってしまったため。だんだん余裕がなくなってきている。
 
 ところで、このところの慰安婦問題や尖閣問題、靖国参拝をめぐる東アジアの軋轢に、とても心寒く、いたたまれない気持ちを抱いている。この状況に何とか介入したものだが、今のところどうする術もない。ただただ、日本の保守層の対外的な意識をかなぐり捨てた言説に心寒い思いをしている。
 
 アメリカにまで忠告されても、意に介さず猪突猛進するこの保守層をどうすれば理解と和解の道に進められるだろうか。ほとんど絶望的な気持ちに陥る昨今である。
 
 
 ところで、この発言だけではないが、最近の日本が清朝末期化している件について、いつか書きたいと思っている。その要点は以下のようである。
 
1、国際ルールの変更(国際化、地政学的な変化)に対する適応不全
2、硬直した官僚組織の機能不全
3、借款などによる経済的不全
4、軍閥などによる国家組織の私物化
5、変革主体の不在、腐敗した支配層を黙認する無力な民衆
 
 これらの清朝末期の衰退を決定づけた条件は、ほとんど大部分現在の日本に共通している。清朝のように露骨に国家組織が腐敗し、私物化されているというわけではないが、変革をすべき状況において支配層はその現状を認識せず、それを国民は容認し追随するだけの変革能力に欠けていることは彼我共通している点である。近代が1サイクルめぐって、日本が清朝末期化するという19世紀的状況になってきたというわけである。そのような東アジアの状況の中で、慰安婦問題、靖国問題などの徴候は起きていると見るべきである。そういった東アジアの国際的、地政学的な「地」の変化をそれらの徴候的な事件は示している。
 

オリンピック開催地決定

 
 オリンピックの開催地決定が今日行われる。今、第1次投票が行われて、イスタンブールと東京とが決選投票に進むことに決定したところである。テレビではプレゼンテーションから放送していたので、東京のプレゼンテーションも見ていたのだが、かなりヒューマニスティックな部分を強く打ち出していた――震災復興や、スポーツの果たす役割、オリンピックムーブメントとの関わりなど――ので、それがアピールしたものかもしれない。
 
 ある意味で、震災が利用されたという気がしないでもないが、東京にとっては好機をつかんだという所だろう。都市間競争の中で、震災はヒューマニスティックな訴求力を持ったと考えるべきだろう。
 
 東京でのオリンピックに関しては、なかなか歓迎する気にはならなかったが、震災の影響が心理的な部分もあると考えれば、オリンピックはそれをある意味で好転させるきっかけにはなるかもしれない。少なくても震災を大義名分に掲げた以上、2020年までには目に見えるような復興の成果を上げることが求められていくだろう。それは好機であるはずである。
 
 ここの所ずっと雑事にかまけて被災地にも訪れていないし、震災のことを考えることもだんだん間遠になってしまっている。ちょうど論文の手直しがあって、もう一度震災について考え直すべき事情があるので、オリンピックのことはちょうどよい契機となった。
 
 震災直後なら、このようなオリンピックの震災利用についてはとても肯定する気にはならなかったと思うが、今はむしろ利用してそれを梃として世界的に震災が名分となり記憶されるのであれば、それはそれでよいと思うように変わった。それは何なのだろう。何が変化したのだろう。震災直後のある意味で直接的な感情が変化したということだろうか。それとも復興が徐々に進んできたということなのだろうか。今はむしろ震災を風化させないことの方が重要だと思うようになったということだろうか。
 
 震災をほとんど忘れていることは恥ずかしいことだが、何にせよ次に向けて進んでいかなければいけないのも事実である。震災に立ち尽くしているのではなく、そこからどのように次を構想して、次の一歩を踏み出していくのか、それを考えなければいけないような時期である。おそらく仙台(市内)はそのような段階にあるのである。その意味でオリンピックは次の一歩につながりうる好機になりうるという気がしているのである。

              ☆
 
 今、最終的に東京でのオリンピックが決定した。決定の瞬間にはやはり感動した。
 
 56年ぶりのオリンピック、その間のことを考えれば天地が変わるような変化をしたものだと思う。日本も日頃は感じないものの、56年の間に国際的なプレーヤーとなったのだと感じる。このオリンピックによって、日本の国際化もより一段と進むことだろう。それは大きな希望である。このオリンピックが日本の社会構造を大きく変えていくものとなるだろうことを期待し、願っている。
 

 「松よ、松よ、青い松よ」(솔아 솔아 푸르른 솔아)

 
 ようやく2週間にも渡るレポート採点を終えて、成績を提出する。これで一段落して次の仕事に取りかからなくてはいけないのだが、色々と気持ちが沈むことが多く、元気が出ない。
 
 こんな時にはまず温泉に入って、気分を変えるに勝るものはない。ということで、温泉に入ってきて、次に音楽を聴く。今日の音楽は「松よ、松よ、青い松よ」という1980年代の運動歌。ちょうど韓国で生活した時に流行していたらしく聞いたのだが、元々はアイルランドで作曲された曲らしい。『赤旗の歌』(The Red Flag)という歌で、世界的に人気がある歌らしい。日本でも実は『赤旗の歌』という題で1920年代に歌われたらしい。
  http://www.chosunonline.com/site/data/html_dir/2013/08/30/2013083001099.html
 
 9月は3本の論文(書き直し論文)と博士論文のまとめ。いったいどこまで行けるものか、果てしなき戦いといった気分になる。孤立無援の戦いであるが、この歌を聞いて乗り切ることにしよう。
  
   

『トガニ』

 
 レポート採点に追われている合間を縫って『トガニ』を見る。コン・ジヨンのベストセラー小説を映画化したもので、だいたいの粗筋は知っていたもののその重さに圧倒された。
 
 霧津という地方都市にある聴覚障害者の学校を舞台にして、そこの校長・行政室長・教員による組織ぐるみの生徒への性的暴行事件を扱ったもので、とても衝撃を受ける。その事件の圧倒的な悪質さということもあるが、事件の舞台が障害者の学校であり、校長の一家によって支配されている閉鎖的な空間であることもその息苦しさを倍加させている。
 
 その閉鎖的な空間の中で、教育のためという名目で回っている洗濯機に首を入れられたり、教員室で日常的な暴行が繰り広げられている。新しく来た主人公の教員がそれを目撃するのだが、そこには校長や行政室長による性的暴行事件が何年にも渡って続いていたことを知るようになる…というストーリーだが、この事件がとても息苦しいのは普遍的に閉鎖的な空間での暴力事件が持つリアリティによっている。家族のDVも同じような息苦しさがあり、また大学などでのパワーハラスメント、職場でのセクシャルハラスメントなどと通じる普遍的な構造を持っている。
 
 閉鎖的な空間の中で、コミュニケーションに問題があると、その齟齬は急進化して過激なものとなる。教育のために、あるいはしつけのためにという名目の下で、その齟齬は暴力となり、日常的なものとなっていく。
 
 この構造が息苦しいのは、外部からは見えない空間の中でのものであり、外ではその暴力をふるう同一人物が温厚な人だったり、地元の名士だったり、大学の有名教授だったりすることがままあるからである。この『トガニ』でも校長やその一家は地元の名士で、篤実なキリスト教信者でもある。警察も彼らの名声を憚って捜査を行おうとしないし、裁判も彼らに有利なように運ばれていく。検事、警察、なども彼らの側なのである。
 
 暴行の被害者が、10代の障害者少女や少年であり、陳述をできないのを見越して彼らは暴行をしたのであり、それが発覚した後でもその世間的な権力と名声を利用して、被害者たちを丸め込もうとしたり、あるいは金で懐柔しようとしたりする。
 
 この構造は大学でのセクハラ、パワハラとまったく同様であり、おそらく家庭内でのDVでも同じようだろう。この密室での暴力事件はだから普遍性をもったおぞましさを持っていて、戦慄を覚えさせる。
 
 この映画ではその暴行事件だけでなく、例えば校長によるワイロの強要(発展基金という名目で新入教員から寄付を受けるもの、何百万円〜1千万円ほどらしい)が描かれていたり、また主人公の母親によって「校長の悪い所は目をつぶって、見ざる聞かざるで過ごしなさい。」という世間の事なかれ主義のあり方が描かれていて、そういう意味でもリアリティがある。主人公は身体の悪い娘をもっていて、その娘のことを思う気持ちと、暴行事件を告発する間での葛藤も描かれている。校長側はその主人公の抱えている葛藤を突いてきて、娘のことを思ってこれで告発を取り下げてくれるようにとお金を提示したりする。将来の安定した職も提示する。そんなやりとりのリアリティもあって、とても戦慄を覚える映画であった。韓国社会の不条理を告発したものでありながら、きわめて普遍的な権力構造に絡んだ事件の持つリアリティを先鋭に描いた映画だった。