10時間勤務

 
 今日は朝の9時出勤で、10時間くらいぶっ続けで仕事をした。こんな日はめったにないのだが、偶然で3人分の論文審査と全学授業の期末試験とが重なったので、そういうことになった次第。さすがに終わるとへろへろになったけれど、なぜか疲労感よりはやり終えた爽快感のようなものが勝っていたようだ。おそらくアドレナリンが分泌されたのだろう。しかしさすがに自宅に帰ると疲れが出た。『明日、ママがいない』を見て、芦田真菜の演技に感嘆して、後はとっとと寝るとしよう。
 
 しかし、このドラマを見て抗議する人がいるということは理解できない。だいたいドラマを見て、これが現実の養護施設の状況だと思うセンスはどうかしている。虚構というものをまったく理解していないとしか思えない。脚本や俳優の演技と言う次元をまったく捨象して、現実と地続きのものと受け取るわけだろうか。どうもそのような初歩的な無理解と錯覚が横行しているように思えてならない。
 
 映画の授業をすると、喧嘩や暴力の場面に顔をそむける学生がたくさんいる。戦争映画で血が出て来るなどという場面は耐えられないらしい。このようなナイーブな感受性をこともあろうに20歳前後の学生が持っていることに驚く。テレビや映画を見るリテラシーを育てられていないのである。これは大人の世界の問題であり、健全なリテラシー(現実の状況に対するリテラシー、大衆文化に対するリテラシー)が社会全般的に低下していることを意味している。日本は歌舞伎や映画の大国であったはずなのだが、いつの間にか社会全般に大衆文化に対するリテラシーはどんどん低下してしまっているようだ。日常的に映画を見る学生などほんの一握りの特殊な存在である。このような若い世代を大量に生み出してしまったことは大人の世界の痛切に反省しなければならない点であろう。