第2次大戦の正しい終わらせ方

 
 NHKラジオ深夜便で元国連大学事務局長の伊勢桃代さんのお話を聞き、たいへんに感銘を受けた。日本語でも格調の高く、志のある言葉を語れる方がいるということ、そのことを知るだけでもどれだけ勇気を与えられることだろう。国連大学で勤務した経験をもとに、様々の含蓄のある言葉を語られていた。
 
 その中でもっとも心に残ったのは、日本が第2次大戦をうまく終わらせられなかったことについて、語っていたことであった。戦後もすでに70年になろうとしている現在、まだ日本は先の大戦を終わらせることができず、ひきずっている。そのことについて伊勢さんははっきりと明確な言葉で語っていた。
 
 彼女の言葉にこめられたメッセージははっきりしている。すなわち正しく先の大戦を終わらせることは可能であり、正しい解決と和解は困難があっても可能である、というメッセージである。そのことに強い感銘を受けた。
 
 正しい「解決」とは何か。それは中国および韓国の求めていることを深い次元で受け止め、それに対応するメッセージを日本が発していくことである。謝罪、個人賠償、等々の問題は実は二の次の技術的な問題なのであり、その手前に深い次元での和解への意志が先行しなければならないのである。
 
 それは、中国国民と韓国国民とに対して和解のメッセージを伝えることに他ならない。例えば韓国の国民が求めていることの一つに、天皇の謝罪ということがある。また、最近とみに焦点となっていることに慰安婦、強制徴用者、被爆者などへの個人賠償の問題がある。それらの要求に対して、日本は一貫して拒絶の立場をとっている。日本の法的な制度(天皇が政治的発言ができない)や、個人賠償は1965年の日韓条約で解決済みという理由に依っている。
 
 しかし、彼ら韓国国民の求めているメッセージは、実は一貫していると考えられる。それは対「韓国政府」ではなく、韓国の「国民」に対しての和解のメッセージ(=天皇の謝罪)と、「国民」に対しての補償を通じた謝罪を求めている、と解釈することができる。言い換えれば、日本は1965年の日韓条約において「韓国政府」に対しては補償・解決をしたが、「韓国国民」に対してはこれまで面と向かってメッセージを発することを怠ってきたのである。解決済みという口実を掲げるだけで、そのような「韓国国民」の求める和解への意志に対して、答えることをしてこなかったと言ってもいい。
 
 つまり、日本が行うべき正しい「和解」への道筋ははっきりしているのである。それは韓国国民に対して、改めて謝罪と補償のプログラムを示すことであり、そのことを首相の対韓国国民への和解への意志として、はっきりと伝えることにある。くり返せば技術的な側面は後の問題として、和解への意志を「韓国国民」に対してはっきりと示すこと、のうちにしかないのである。
 
 おそらく慰安婦、強制徴用、被爆者たちへの個人補償にかかる費用は、それをしないことで被る負担に比べて、はるかにちっぽけなものであるに違いない。そのことを考えれば、正しい和解へのプログラムとして、それらの個人補償を行うことは賢明な判断であるに違いない。そのような和解への道が遠くない将来示されることを強く願うものである。