清朝末期化する日本

 
 4,5か月も間が空いてしまった。昨年の後期に入って加速度的に忙しくなってしまったため。だんだん余裕がなくなってきている。
 
 ところで、このところの慰安婦問題や尖閣問題、靖国参拝をめぐる東アジアの軋轢に、とても心寒く、いたたまれない気持ちを抱いている。この状況に何とか介入したものだが、今のところどうする術もない。ただただ、日本の保守層の対外的な意識をかなぐり捨てた言説に心寒い思いをしている。
 
 アメリカにまで忠告されても、意に介さず猪突猛進するこの保守層をどうすれば理解と和解の道に進められるだろうか。ほとんど絶望的な気持ちに陥る昨今である。
 
 
 ところで、この発言だけではないが、最近の日本が清朝末期化している件について、いつか書きたいと思っている。その要点は以下のようである。
 
1、国際ルールの変更(国際化、地政学的な変化)に対する適応不全
2、硬直した官僚組織の機能不全
3、借款などによる経済的不全
4、軍閥などによる国家組織の私物化
5、変革主体の不在、腐敗した支配層を黙認する無力な民衆
 
 これらの清朝末期の衰退を決定づけた条件は、ほとんど大部分現在の日本に共通している。清朝のように露骨に国家組織が腐敗し、私物化されているというわけではないが、変革をすべき状況において支配層はその現状を認識せず、それを国民は容認し追随するだけの変革能力に欠けていることは彼我共通している点である。近代が1サイクルめぐって、日本が清朝末期化するという19世紀的状況になってきたというわけである。そのような東アジアの状況の中で、慰安婦問題、靖国問題などの徴候は起きていると見るべきである。そういった東アジアの国際的、地政学的な「地」の変化をそれらの徴候的な事件は示している。