保田与重郎「ヱルテルは何故死んだか」

 
 保田与重郎論を書くために、「ヱルテルは何故死んだか」を読む。これが彼の批評的な核心であり、出発点であることを実感する。保田の批評対象は、はじめから「近代」に内在している矛盾であり、近代を内部から崩壊させざるをえないディアレクティック(それを彼はイロニーと呼ぶが)であったのである。そして「近代」批判の文脈からアジア、そして日本の文明が言上げされるに至るのである。それは「近代の終焉」ともつながっている。
 
 しかし、そう考えてみると「ヱルテルは何故死んだか」は保田なりの「近代文学批判」であり、「近代文学の起源」であったことになる。そして「近代の終焉」と来れば、これは柄谷行人などの日本現代批評の主流と見事に接続してくる問題領域を扱っていることになる。
 
 実際、保田与重郎はそう見なされているよりもずっと、日本近代批評の本流に接続しており、鋭敏に批評的な課題に対応している批評家であるように思われる。アジア、外地をことに問題化したのも、そのような鋭敏な批評意識からであるように見える。戦争期という悲劇的な時代に活動したために、あのような特異な批評スタイルを取ったが、本質的には柄谷行人的な批評家であり、西欧近代を強く意識した批評家であったのだ。