ソチオリンピック終了

 
 昨日の夜、閉会式が行われて17日間に渡ったソチオリンピックが終了した。今回のオリンピックは、新学期からロシアの留学生が来ることもあって、かなり集中して見た。後半の1週間はオーストラリアへの出張が入ってあまり見られなかった(オーストラリアではあまり中継していないようだった)のだが、ともかく開会式から閉会式まで一通り見たので、かなり熱心な視聴者に入ると思う。
 
 今回のソチオリンピックはロシアが(というよりプーチン大統領が)全力を挙げて開催したので、とても見るべき点が多かったことが挙げられる。ソチという冬季オリンピックの開催地にはまるでふさわしからぬ土地に、巨額の投資をして豪華絢爛なオリンピックパークを作り上げた点、ヨーロッパ・アメリカの諸国がかなり批判的なスタンスで関わった点、ロシアの文化や歴史などを前面に打ち出して新しいロシアのイメージをプロパガンダしようとした点、等々いろいろな意味で面白いオリンピックだった。
 
 冬季オリンピックはもともとヴィジュアル的に映える要素が多いのだが、その点を最大限に生かした演出が多かったように思われる。あまり詳しくはないが、冬季オリンピックの歴史の中で、ヴィジュアル化・スペクタクル化を進めた大会だったのではないだろうか。特に開会式、閉会式の先端的なヴィジュアルイメージを多用した演出には、このオリンピックの理念とも言うべきものが現れていたように思われる。
 
 それは簡単に言ってしまえば、社会主義ソヴィエト連邦から離脱した新たなロシアのイメージ――モダンでグローバルな先進テクノロジー的なイメージ――をヴィジュアル的に可視化するという点にあったように思える。そのスペクタクル化されたロシアの先進的イメージのために、5兆円という巨額の投資が行われ、プロパガンダが行われたのである。ロシアの文学や音楽、バレー、サーカスという文化資本がそのために最大限に動員されていた。
 
 このオリンピックがそのような華麗さに隠されて、政治的なプロパガンダの意味合いが強かったことは言っておかなければならない。ロシア国内での民族紛争を覆い隠し、統合されたロシアという政治的なイメージを押し出し、国外的には先進的でグローバルなパートナーとしてのロシアイメージを強調しようとしていた点は指摘しておかなければならない。
 
 日本にいるとよく分からないが、おそらくそこには旧ソヴィエト圏の国々に対するプロパガンダであると同時にヨーロッパの国々に対するプロパガンダという意味合いがあったものに違いない。ヨーロッパにとって異質な文化としてのロシアを、グローバルで先進的なテクノロジーの国として提示することで、同質の文化圏のものとしてプロパガンダする意味合いがあったものと思われる。
 
 ただ、このプロパガンダは、同性愛に対するロシアの対応への反発や、オリンピック後半にウクライナでの政治不安が高まったことによって、事実上うまく働かなかったと言えるように思える。特にソチにほど近いウクライナでの政治不安は、ソチでの平和とグローバルなメッセージを裏切って、現実的な葛藤の中にロシアがあることを明示したものであった。
 
 ソチオリンピックの夢はすぐに覚め、ロシアは現実の中に戻らなければならない。おそらくソチでの巨大開発と、数万人の規模の警備体制をとったことへの反動もあることだろう。オリンピック後のロシアの行方の方に、注目がなされなければならないだろう。