日本語の苦しさ

 
 日本に帰国してしばらくの間、日本語への拒否反応のようなものが続いてあった。日本語を聞くと息苦しくなってきて、逃げ出したくなるのである。日本語の何がそのような拒否反応を引き起こすのか、リズムのようなものか、話者の内面に関することなのか、はっきり分からないが、ともかく息苦しくなる状態がしばらく続いた。 
 
 帰国子女(帰国中年)の不適応のようなものだと考えられるが、それは良くなったり悪くなったりしながらも、実はいまだに続いているものである。他の言語に関してはそのような拒否反応は起こらないのだから、日本への不適応に起因しているとしか考えようがない。
 
 テレビを回してもどのチャンネルでも日本語が出てくるし、ラジオを聞いても日本語ばかり、そのような状態は実はとても息苦しいものである。英語チャンネルや中国語チャンネルがあればと切実に思ったが(ちなみに韓国では中国語チャンネルも英語チャンネルもあった)、日本ではそのようなものは普通にはないので、本当に苦しい時にはインターネットで韓国語放送を聞いて癒されていた。
 
 もちろん帰国してそろそろ10年近くなったので、だいぶよくはなったのだが、しかし日本語になじめないという思いはいまだに基本的に続いている。韓国語や中国語に関しては、そのリズムが心地よいと感じられるのだが、日本語はひどく単調で息苦しくなるのである。病気のようなものである。唯一、沖縄の人の話す日本語には違和感を感じないのは不思議と言えば不思議である。外国人の話す日本語にも違和感を感じないので、その辺は何か日本語母語話者のリズム感や内面の問題に起因するのだろう。
 
 ちなみに書き言葉はそれほど苦しいわけではないので――初期には書き言葉もなかなか入ってこなかったけれど――、これは話し言葉としての日本語に関わっているものだと考えられる。韓国語や中国語には聴いていてカタルシスがあるのに、日本語にはそれが存在しないということだろうか。心地よさから遠い言語なのである。