しばらくぶり

 
 しばらく間が空いてしまった。なぜか毎日何か雑用があったり、授業準備が忙しかったりで、ろくにゆっくりできる時間もない。局地的な忙しさである。週末は週刊読書人という書評誌に和田とも美氏の本の書評を書いて送ったら、次の月曜日の会議をすっぽかしてしまう。月曜日、火曜日と授業準備で明け方までかかる。ふらふらになって水曜日を終えると、木曜日は新しい授業が始まるので、その準備などで大変。という感じで一週間はあっという間に過ぎてしまう。
 
 この所合間合間で考えていたのは、植民地朝鮮という空間について、そして災害とナショナリズムとの関係について、である。
 
 植民地朝鮮という空間を改めて考えることになったのは、和田とも美氏の著書によっている。和田氏の著書は李光洙の文学の思想的な背景を追ったものだが、その中で李光洙が多言語的な空間で日本を相対化するような思考をしていた、という示唆的な指摘があった。確かに植民地期の朝鮮では多言語的な志向性が存在し、例えば日本のことをアメリカやイギリスの存在によって(あるいは英語によって)相対化したり、またロシアや中国といった存在もその中には含まれている。李光洙は若い時にロシア、中国を回ったこともあるのである。
 
 この植民地期朝鮮の作家の多言語性への志向性ということは、一度よく考えてみなければならない問題である。崔載瑞の英文学ということも、単純な近代志向ということとは別のアクセントがあったはずである。この多言語性の持つ意味について考えること。
 
 また、災害とナショナリズムについては、これも李光洙の『無情』の最後の方で水害に見舞われた地域を通り、被災者の姿に直面する場面が出てくる。その被災者たちの姿に直面することで、主人公らはそれまでの生涯を清算し、朝鮮の未来のために生きるナショナリズムの道を選択する。この最後の場面はやや唐突な印象を持っていて、あまり実感はなかったのだが、東日本大震災を代入してみるとまったく唐突というわけではないことに気が付く。朝鮮にとって水害は数多くあった災害の代表的なものであったし、それによって被災者の姿からナショナリズム的な転回をもたらされることはありえたのではないかと思えるようになったのである。
 
 もちろん東日本大震災だけではなく、前回の関東大震災でも明らかなように、災害はナショナリズムと結びつく面を持っている。傷ついた国民、傷ついたわれわれの姿が、ナショナリズムを引き寄せるのである。このような災害の持つ意味、被災者の持つ意味についてもう少し考えてみたいと思っている。