傷つきやすいナショナリズム

 
 授業ではミニットペーパーというものを使って学生に感想を書いてもらっているので、だいたいの雰囲気や空気のようなものを感じとることができる。
 
 先週の韓国映画の授業で『グッドモーニング・プレジデント』というチャン・ジン監督の政治コメディを見た。3人の大統領の私生活や家族生活をホームドラマとして扱ったものだ。その合間に政治的なイシューが所々はさまれる。
 
 第2話のチャン・ドンゴン演じる若い大統領の話では、日本と北朝鮮との軍事的な緊張が日本海竹島(独島)近海であり、それにアメリカが介入しようとする話題があった。日本は日章旗を掲げた海上自衛隊の軍艦という姿で現れ、また韓国駐在の日本大使がひどく日本なまりの韓国語で茶化されて登場する。チャン・ドンゴンの流暢な弁舌に圧倒されて、早々に逃げてしまうという場面である。
 
 韓国の目線から見た日本のイメージと一笑してしまえばそれだけだが、ミニットペーパーをみた所、敏感に反応する学生が多かった。そして今日授業に行って映画の後半を見たわけだが、学生の雰囲気(特に女子学生)が何となく硬くなっているように思えた。
 
 おそらくこのような日本のイメージに彼ら/彼女らの内心はひどく傷ついたものらしい。この辺からは想像だが、政治的な緊張としての竹島(独島)問題や中国での反日デモに関しても、彼ら/彼女らは自分たちが否定されているような感情を抱き、それが映画の描写に刺激されて出てきたもののように想像される。
 
 もちろん竹島問題にしても、中国の反日デモにしても、日韓・日中の政治的な問題として考えるべきなのだが、その辺マスコミも含めて日本という国家、日本人という民族集団への否定的なメッセージが誇張されて受け取られているのではという印象を禁じ得ない。
 
 特に免疫のない男子学生/女子学生たちが、その辺の政治的な緊張と日本人や日本国家への集団的な否定という次元をうまく区別できず、何かしら侮蔑を受けたという受け止め方をしたという可能性は高い。
 
 これが考えすぎならばいいのだが、学生たちを観察すると年を追うごとに暴力的な描写や政治的な問題への免疫が落ちてきて、何か直接的な受け取り方をする学生が増えてきているように思えてならない。世界観がフラットになってきているというのか、色々な次元の物事を日常的な次元の感覚で判断するというべきなのか、そんな印象がどんどん強くなっている。
 
 そのような世界観は、実は差別感情がないという意味でいい面もたくさんあるのだが――例えばK−POPなど国境を超えるのにためらいがないなど――、いったん緊張が生じた場合に個人的で日常的な次元での否定という受け止め方をする可能性は否定できない。そのような傷つきやすい自尊心を追い詰めて刺激するとどういうことになるのか、実はとても心配である。伝統的な保守ではなく、傷つきやすいナショナリズムが広範に広がって新しい右派を形成し、それが政治的な形態をとるとき、緊張をますます増幅する孤立化への道を突き進むことになるのではという危惧である。それが現実とならなければよいのだが。