憤懣

 
 きわめて率直に言ってしまえば、国家や企業のために献身する男性のメンタリティ、そして一歩下がって男性の言うことに従う女性のメンタリティを革命的に切断するような契機がなければこの国には未来がない。そのようなメンタリティを自ら突破することなしに戦後の民主主義が与えられてしまったために、そのような旧来のメンタリティが温存されてきて、それが現在奇妙な形で復古しているのだと思う。
 
 国家や集団の意志、ルール、そういったものに従順に従う成人を大量に量産して、戦後の経済成長期には大きな成功を挙げたものの、その路線が間違っていること、明らかな限界に突き当たっていることを直視することができず、またもや復古的な国家主義集団主義、マッチョな男性中心主義が復古してきている。この動きは危険である。
 
 なぜこの国では自立した個人が自由に連帯するという普通のことができずに、危機にぶつかると強い国家、強い男性、強い企業…を指向するのか。本当に必要なのは、強い自立した個人であるはずなのに、この動きはまさにその逆であり、反動的である。
 
 民主党政権交代後の一時期、そのような自由な連帯に基づいた社会のヴィジョンが一瞬だけ輝いたように思えたが、それもすぐにしぼんでしまった。その反動で、強いリーダーシップという名のもとにますます復古的で権威主義的なリーダーとそれに従順に従う男性/女性が量産されようとしている。まったく現在必要なことの逆を行っているとしか思えない。絶望的なこの国の風景である。