希望

 
 今日は山形であった日本比較文学会東北支部大会に日帰りで出かけてくる。今回は韓国時代から旧知の田尻浩幸さんが発表するので、その司会を任されたためでもある。
 
 田尻さんの発表は李人植と東京政治学校、そしてそこで教えていた長田秋濤との関係を通して、フランスのロマン主義が李人植文学に流れ込んだ経緯を再照明しようとするもの。新しい資料もあり興味深いものだったのだが、ただ発表者本人が遠慮して準備したレジュメを半分以上も省略したりして、伝えたいメッセージがよく伝わらなかったように思えた。何とか司会としてメッセージをまとめるよう頑張ったが、本人が遠慮してはいけない。李人植について、さらに彼の新小説について、色々な立場の人から意見を聞ける貴重なチャンスだったはずなのに残念である。
 
 その後のワークショップ「近代の声とテキスト」は力の入った発表が二つ並んで、興味深いものだった。中村唯史山形大学)「大戦間期の日本とソ連の文芸における「声」」、渡辺将尚(山形大学)「「文化産業」としてのラジオドラマ―ジークフリート・レンツの場合」という二つで、特に中村氏のものは日本の1930年代における「近代の超克」の言説が、実はロシアの同時期の言説と並行したものであったことを照明したもので、とても知的興味に満ちたものだった。

 
 ところで大会が終わって懇親会の席上で、嬉しいことがあった。
 
 山形大学の大学院生の方と席が隣になって話をしたのだが、この間の岡山であった学会のパネルに参加してくれたということで、その時の模様を色々と語って(さらには批評して)くれた。パネラーの森岡さんの指導学生ということもあって、特に森岡さんの発表のテーマであった当事者性という批評の文脈について、私の発表も絡めて論評してくれたので、とてもうれしく聞いた。彼自身が宮城県名取市の出身で、震災には語るべきことが多くあるようなことを言っていた。彼のような若い方々の意見を、当日のパネルで出してもらえれば一番よかったのだが、ただ遅ればせながらでも聞けたのはとても嬉しいことだった。
 
 彼は当日のパネルを録音までしてくれたらしく、そのように熱心に聞いてくれた人(たち)がいたということで、とても救われた思いをした。若い人々へメッセージが届いたということ、届かせることができたということ、それは本当に嬉しいことであり、希望を抱かせることである。
 
 パネルの質疑の時に発言してくれた方が、以前の春の大会でのパネルの関係者たちであったことも確認できて、それもとても嬉しいことであった。春のパネルの時に私が批判めいたことを言ったにもかかわらず、それを超えて今回のパネルに出席してくれて、しかも質疑まで参加してくれたということで、その真摯さというか感情を超えた姿勢にとても感激した次第である。
 
 メッセージは伝わるのである。そのことで、とても希望を抱いた一日だった。