悔しさという感情

 
 震災直後の感情を今思い出してみると、悔しいという感情が底流をなしていたことに気が付く。なぜあんなに悔しいという感情が生じたのか思えば不思議であるが、この感情はおそらくそれ以前から潜在していたものだったのではないかという気がする。
 
 震災はある意味で無意識にとどまっていた諸々の事情や感情を意識化させ、解放させた側面がある。無意識的な構造を露出させたと言ってもいいだろう。東北の無意識的な位置や記憶といったものが前面化されることになったし、個人においても同様に無意識的な感情の構造があらわになったのではないかと思える。
 
 熊谷達也の「東北の怒り」という文章は、そうした個人の感情的な原型の部分に触れていて、その点で強く共感されるものであった。おそらく東北地域の人々の無意識に抱えていた感情的な部分を解放させたものであったためである。
 
 そこでは(この間のパネル発表でも言及したが)、悔しさという感情が東京=中央の対応への即事的な違和感から始まって、より歴史的な近代以来の「敗北」の歴史にまで及んでいた。近代以降、東北地域が自らの意思とは関係なく食糧基地や電力基地とされ、そのことによって東北の人々の自然と交わって暮らしていた生活が根本から変容された歴史的過程にまで、その感情の根源は遡られていたのである。
 
 ただ、このような感情的な次元はなかなか共有されにくいものであるらしい。東北地方以外の人間には、この歴史的な無意識としての「敗北」の感情や、悔しさといった感情は共有されにくいもののようである。ただ、共有されるとしたら沖縄の日本の近代史における位置と感情とが、おそらく近い性格のものであるに違いない。
 
 震災後も時折考えていたが、このような感情的な次元での連帯は可能なのだろうか。悔しさという感情をバネとした連帯は可能なのだろうか。悲しみの感情は共有しうるものだが、悔しさという感情はより共有が難しいものであるように見える。悔しさを言語化し、普遍的な言葉に置き換えること、その先に連帯の希望は見えてくるのだろうか。個人的にはかなり切実な問題である。