日本近代文学会でのこと

 
 この週末は岡山であった日本近代文学会の大会に出かけて、パネル発表「震災をめぐるさまざまな言説的亀裂――東北・マイノリティ・文学――」を行ってきた。
 
 色々な経緯があってパネルを組むことになったのだが、震災という重いテーマに、それもことさら「亀裂」や「分裂」を主題化しようという意欲的(?)なものだから、実はなかなか気苦労も多かった。
 
 ただ、そのある意味で無謀な企てを押してくれ、応援してくれる方々も中にはいて、それが本当に心の救いとなった。パネラーを快くやってくださった森岡さん、申知瑛さんには深く感謝するし、コメンテーターを引き受けてくださった島村輝さんには本当に感謝の言葉もない。企画からいろいろ相談に乗ってもらった高榮蘭さんにもとても感謝している。
 
 パネルの模様は一々書かないが、終わっての反省はもう少し色々な戦略が必要だったかということである。震災を語るということ自体が持つ困難さをあまり考えていなかった(仙台にとっては自然なことであることもあって)ので、もう少し切り口やアプローチの方法をいくつか考えておけばよかったか、という反省が残った。主に森岡さんが文学批評から、申さんがマイノリティとコミュニティから、そして私が「東北」からという配分をしたわけだが、何かもう一工夫して問題の切り口を明瞭化させた方がよかったのかもしれない、という反省が残った。
 
 被災地から遠い岡山という土地でパネルを行うという条件について、あまり考慮していなかったかも、ということもある。震災をただ語るよりも、震災表象、東北表象、あるいは震災後の日本人表象などという、表象の問題に特化してもよかったのかもしれない。あるいは当事者とはだれか、という問題を強調するとか。
 
 結局、それぞれのパネラーが語りたいことが多くて、それぞれ興味深かったものの、方向性がちがった3本の発表となってしまった感がある。そこをもう少し企画の段階で絞っておけばよかったかな、という反省である。今更反省しても仕方がないのだが。
 
 別々の問題提起が3つあった、という風に見ればそれでもいいのかもしれないが、そこはちょっと工夫の余地があっただろう。また、それぞれのパネラーが語りたいことがたくさんあったということも計算外で、それぞれが長い発表となってしまった点も反省点である。これも事前に本当は確認しておくべきだった。35分から40分というアバウトな計算でやったが、それぞれ10分くらいオーバーして、聴衆との討議が時間が絶対的に足りなくなってしまった。島村さんの貴重なコメントへの反応もお粗末なものとなってしまった。
 
 ということで、点数を上げるとしたら60点というところか。やってみなければ分からない様々な問題点があるものだ。島村さんがしかし苦情も言わずにすばらしいまとめをして下さったので、問題点は大きく露出せずにすんだようなものだけれど…。
 
 以上がパネル全体の反省点。次に自分の発表の反省点。
 
 こちらも戦略が少し足りなかった。震災がさまざまな社会的コンテクストを露出させたこと、それが文学研究にもたらすインパクト、そして国民国家(国民文学)を超えるコンテクストの可能性まで、論じようと思ったのだが、これもあれこれ言いたいことがやはり多かったのだと思う。もう少し戦略的に語るべきだったかと反省。文学研究についてのインパクトについてはまだ思いつきの範囲を出ていないこともあって、社会的なコンテクストにしぼって語った方がよかったかな、という反省。また、国民国家(国民文学)を超える社会的コンテクストの存在も、私は自明だと思っていたけれどもう少し手続きを踏んで語るべきだったかな、という気がした。やはり自分もあれこれと語りたいことが多かったようである。実は東北の人間は今回の震災については語りたいことが山のようにあるのである。語りたいことを語るのにも、何かしらの戦略と手続きが必要だと言うことを今回のパネルでは学んだ。今回の一番の収穫だった。