感想

 
 今日は小雨が降り続いていることもあって、何となくブルーな一日。
 
 昨日の夜、懸案だった夏休みの宿題の論文をようやくのことで脱稿して、解放されたのだけれど、それで少し寂しいこともある。ほとんど1年以上ああでもない、こうでもないと考え続けたテーマ(保田与重郎日中戦争期の言説状況)なので、実はそれを離れることは寂しいのである。論文を抱えている時の幸福というもの(ストレスと紙一重だけれど)もあるのである。論文が完成して出てしまえば、独り立ちした子供のようなもので著者の手を離れてしまうということもある。
  
 そんな思いと関係があるのだろうか、今日はなぜか子供を育てたいという思いがよぎる。愛情をそそげる対象がたぶん必要なのである。何か愛情のようなものが溢れそうになって、それを受け止めてくれる存在が必要という感じだろうか。家内と娘と、そして両親と学生には十分愛情を持っているが、娘が巣立ってしまってその後、愛情をどこに向けていいのか分からないという思いもある。娘が巣立ってしまった後の寂しさを埋めたいという思いなのだろうか。それが更年期ということなのだろうか。愛情が溢れそうになって苦しい思いをすることがある。たぶん、父性(というか普遍的な母性なのだと思う)は遅く目覚めるもので、ようやく娘が年頃になって、父性/母性に目覚めだした頃に娘が巣立ってしまったので、もっと強くそう思うのだろう。孫を待つには早すぎるし、誰か子供を斡旋してくれないでしょうか? それともペットを飼う人はそんな心情から飼うのかもしれませんね。