孫歌「アジアという思考空間」

 
 『アジアを語ることのジレンマ』(岩波書店、2002)の序章に当たる。
 
 「アジア」という概念に出会うこと。特に中国人である著者の孫歌氏が「アジア」という概念に出会うことは、一つのストーリーであり、事件でもあることをこの論はよく示している。孫歌氏は「日本」を通して、さらに日本の中でもトランスナショナルな思想家であり実践家であった竹内好を通じて、「アジア」という概念と出会っているのである。
 
 省みれば、日本においても「アジア」という概念に出会われるのには、近代を待たねばならず、そこには別のストーリーがあったことが見えてくる。いずれにせよ、「アジア」という概念はトランスナショナルな実践に深くかかわったものとして生産されたものであり、自己(自民族表象)のアイデンティティの剰余として見出されてきたものとしてあった。「アジア」と「日本」(あるいは「中国」)という概念はだから自然な延長線上のものではなく、何かしらのねじれや剰余の中で相互に生産されたものと言うことができる。
 
 最近、日中戦争期の言説について考えているのだが、日中戦争という「交通」(保田与重郎はそれを「世界交通路」と呼ぶ)によって「アジア」は再定義を受けている。あるいは、「世界交通路」として発見された「アジア」の中の剰余として、そこから派生したものとして「日本」が考えられ、再定義されていると言ってもいいかもしれない。そのことは孫歌氏が「アジア」に出会うことで自らに出会うこと、「中国」のアイデンティティを再定義することと並行していると言えなくもない。
 
 日中戦争によって「アジア」は大きな言説のフィールドの焦点となり、その中に様々なアクセントと欲望とが読み込まれる場となる。竹内好保田与重郎、尾崎秀実、そして朝鮮の崔載瑞、玄永燮らが様々な「アジア」を読み込んでいく。それらの接合と乖離、相互の接触し離反する様相を跡付けたいと思っている。なかなか大変な仕事ではあるが。