近況など

 
 しばらくかかって秋の学会でのパネルの企画と組織の仕事にかかりきっていた。パネラーを依頼して、また討論者(ディスカッサント)を依頼し、またパネルの概要を組み立てて事務局に送るまでの仕事なのだが、なかなか思う通りには進まないものなので、ずいぶん長い時間がかかった。
 
 その過程では事あるごとに色々な人にお世話になり、たいへん感動することも多かった。苦しい時もあったけれど、全体的に見ればやってみてとてもいい経験となった。なかなか人々を組織するということは一筋縄ではいかないということも分かったし、しかし大事な時に協力してくれる方々も多くいるという得難い経験もできた。
 
 ただ、終わってみて感じたのは、当たり前と言えば当たり前なのだがコミュニケーションの重要さ、ということで言葉足らずというか丁寧なコミュニケーションができなかったのではないか、という心配が残った。
 
 パネルのイメージはもちろん自分にはあるわけだが、それを伝えたり説得したりするというのは意外に難しい。もちろんパネラーの方々にはそれぞれのイメージがあって当たり前だし、その独自の方向性で進めてもらって、そこに何か共通の問題意識が現れればいいと思ったのだが、でも基本的にパネルのコンセプトはきちんと伝えるべきではなかったのか、という反省が残った。 
 
 まだ詳細を言う段階ではないが、基本的に3・11の震災をテーマとし、そこに現れたさまざまな社会的、文化的、言説的な亀裂について、というコンセプトだったのだが、それがどの程度共通認識として共有されたかは疑問である。だいたい、震災によって「われわれ」に亀裂が入り、分断されたという認識はどれほど共有されているのだろう。マスコミなどによる「われわれ」の一体性の強調はもちろん「われわれ」に入った亀裂を修復するために、イデオロギー的に動員されたもののはずだが、そのような認識は共有されているだろうか。
 
 改めてその点に、根本的な疑問を感じてしまった。亀裂や分断をことさら取り上げて、強調するのが震災1年後の現在にとって、いいことなのか、という疑問もある。そんなことを色々と考えさせられた。しかし、冷静に見れば1年後の現在も亀裂は修復どころか、大きな規模で存在しているのは自明だと思うのだけれど…。
 
 ここ数日、そんな自問自答を繰り返している。
 
 その仕事をしながら毎日のように張恵妹(A-MEI)の歌を聴いていたので、なんとなくこの頃中国語のレベルが上がった気がする。聞き取りはいくらかできるようになった。これもパネルの仕事の与えてくれた恩恵である。