ドキュメンタリー映画『ぼくたちは見た』(古居みずえ)

 
 上映会があって、古居みずえ監督のパレスチナの少年少女たちを扱ったドキュメンタリー映画『ぼくたちは見た』を見てきた。かなり前からぜひ見ておきたいと思っていた映画だったが、期待にたがわずとてもすばらしい映画だった。
 
 扱われる場面は、2008年の暮れにあったイスラエルによる3週間のガザ攻撃の直後のガザ南部のある町での家族の様子。それをだいたい10代前半の少年少女たちの視点からの証言をもとに再構成したものだ。少年少女たちは同じサムニ家という大家族の一員で、このサムニ家はイスラエル空爆によって一度に29人と言う信じがたい数の犠牲者を出した家である。その空爆によって父親や母親、兄弟たちを失った直後の少年少女たちの様子が扱われている。
 
 
 何よりも驚いたのは、このイスラエルによる攻撃直後のガザの惨状が、見慣れたものであったことだった。このガレキに覆われ、死体があちこちに転がっている光景は、3・11以後の東北沿岸部の光景に正確に重なる。われわれはパレスチナの紛争や、そこでの無残な光景をどこか他人ごとのように感じていたのだが、3・11を経ることによってその光景はすぐそこにある身近なものになったのである。ガレキの下にいまも埋まっている親族たちの死体、親族を失った場所を毎日のように何度も何度も訪れる少年少女たち、父親の血の染み込んだ石を集めて大切に保存している少年の姿、そんな光景を去年の3・11の時以来われわれも数多く目にしてきた。
 
 常々感じてきたことでもあったが、3・11によって日本は第三世界化したのだと言い換えてもいいのかもしれない。第三世界の日常的な光景が、すぐそこに現出し、直接手に触れ、目に見える形で日本の内部に出現したのである。それは日本人の、少なくても東北地方に住む者のリアリティを変えた。第三世界的な光景のリアリティが、はるかに身近なものとして感受されるようになったのである。
 
 
 映画はだいたい4人の少年少女の証言をもとにして進められていくのだが、いずれの少年少女たちも思ったよりは明るく気丈にふるまっていて、イスラエル兵の攻撃の模様や友達が亡くなった場面、両親が亡くなった場面をかなり淡々と語って行く。そこにはわれわれが想像するような親を亡くした寄る辺なさや悲しみの抒情性のようなものは存在しなくて、そのあまりの逞しさに驚くほどである。ただ、彼らがそのような悲劇に直面することで、10代前半には抱えがたいような体験を経て、異常に成熟して大人びてしまったことは映画を見ているうちに知られてくる。戦争などの悲劇は人を早く大人にしてしまうのである。そのことの持つ残酷さを映画の中の少年少女たちは強く感じさせてくれる。
 
 特にその4人の中で、記憶に残り忘れられない少女がいる。ゼイナブちゃんという13歳くらいの少女だが、空爆により目の前で両親と兄弟を失ってしまった少女である。中学生くらいのその少女がその体験によって深く傷つき、抱えきれない重荷を背負ったことは容易に想像できる。しかし彼女はその重荷を健気にも自分の意志の力で支え、決して弱音を吐くことはない。空爆の前にはよく笑う普通の少女だった、と言うが、その体験の後では決して笑わない強い表情を持った女性に変貌している。彼女が自分の顔に絵具を塗り始めたので、何をするのかと思ったら、それはイスラエル兵の様子を再現したものであって、自分がイスラエル兵の様子を再現することで、その両親を亡くした現場の記憶を再現しているのだった。それを見た妹や弟たちは泣いたりするが、彼女はそうやって自らの記憶を再現し、克服しようとしているものらしい。その強い意志の力にはただただ驚くばかりである。
 
 さらに、それだけでなく続きがある。映画の後半は攻撃から8ヶ月後の同じ場所の様子を追跡した場面があって、そこでもまた同じゼイナブちゃんが登場する。彼女は決してイスラム教のスカーフを付けなかったのだが、8ヶ月後の彼女はスカーフを巻いて熱心にコーランを読み祈りをささげている。彼女は明らかに変貌したのである。その間に何があったのだろうと観客は思う。彼女の口から出てくるのは思いもかけない理由である。それは「自分はイスラエルの一番嫌がることをしたい。そのために、宗教を深く信仰するのだ。どんな攻撃も信仰を負かすことはできず、それがもっとも深い抵抗であるから。」という趣旨のものであった。
 
 その間、彼女が深く自分の記憶とそれを克服する道について思索したことは容易に想像される。そこで彼女が下した結論が、信仰によってイスラエルに抵抗すること、であったことは大きな驚きを覚えさせる。攻撃や復讐によって克服するのではなく、深い信仰によって抵抗することに至りついた道筋は、日本人にとっては不透明で分かりにくい点がある。しかしそこに至る省察と思索の重みはわれわれを感動させるものであり、単純な復讐でなく信仰によって相手の無慈悲さ、低劣さを乗り越えること、という意味であったならば、驚くべき思索の飛躍があったことになる。記憶を決して忘れずに、深い信仰にそれを結びつけたこと、記憶の意味を信仰の中へ昇華し、イスラエルに倫理的に打ち勝とうとすること、そこには紛争を打開する道が見えるように思えた。3・11後のわれわれにも示唆するところが大きい映画であり、少女の言葉であった。