園子温『冷たい熱帯魚』

 遅ればせながら園子温映画を見る。噂にたがわず完成度の高い映画で一日じゅう余韻に浸っていた。というよりも衝撃の中にあった。
 
 映画の扱う事件が猟奇的な連続殺人事件であるので、肉体を切り刻む場面などの衝撃的なシーンの印象が強くて身体的な戦慄感のなかにあったのだが、一晩おいて少し冷静になって考えてみるとこの映画は<戦後>を描いているのではないかと思うようになった。より正確に言えば戦後の後としての<戦後-後>を描いているのではと思うようになったのである。
 
 この映画を圧倒的に貫通しているのは悪魔的な連続殺人鬼としての村田(でんでん)の存在感である。村田は巨大な熱帯魚店であるアマゾンゴールドの店主として登場している。このアマゾンゴールドという店は、どこか郊外の大型スーパーを彷彿とさせるような規模の巨大な熱帯魚店であり、広くて明るい売り場に数多くの熱帯魚を揃えているだけでなく、そこにしミニスカートを着た若い女性店員たちが出てきて接待したり、ハワイアンの音楽をかけたりとレジャーランド的な雰囲気を醸し出しているのである。
 
 このような広い売り場、豊富な品ぞろえ、そして女性店員たちのサービスなどといったしかけはどこかバブル期のレジャーランド化した大型商業施設を思い起こさせる。いや、そう言うよりも<戦後>のひた走った高度成長の帰結を象徴していると言ったほうがより適切だろう。そう、ここは<戦後>の光と陰とがむき出しにされた楽園であり、そして最悪の地獄でもあるのである。
 
 熱帯魚店主の村田が、最初は大声で陽気にしゃべる好人物として登場し、突如凶悪な殺人鬼の姿を現すのもだから偶然ではない。豪快で世話好きなこのようなタイプはやはり<戦後>の一つのタイプを表すものとして理解される。例えば田中角栄のようなエネルギッシュで世話好きなタイプを思い起こせばよい。田中角栄が<戦後>の光と闇とを極端な形で表しているように、この村田もまた<戦後>の光と闇とを極端に象徴しているということができる。
 
(この項つづく。コンピューターがとても調子が悪いのです。ここまで書くのに何時間もかかりました)