アン・リー『ラスト・コーション』

 
 アン・リー監督『ラスト・コーション』を見る。158分の大作だが、少しも冗長でなく時間を感じさせない出来である。1940年代上海の街並みを再現した大規模なセットやエキストラ、小道具なども素晴らしく、堪能する。
 
 この映画は、工作員を主人公とした工作員映画である。汪精衛政権の特務機関の長であるトニー・レオンと抗日運動グループのスパイであるタン・ウェイが始めは任務のために近づき、そして禁断の恋に落ちるというもので、どこか韓流映画の工作員もののストーリーを髣髴とさせる。
 
 例えば『シュリ』での北朝鮮女工作員と韓国の情報局員との禁断の恋や、『義兄弟』でのカン・ドンウォン演じる北朝鮮工作員ソン・ガンホ演じる情報局員との友情のストーリーと一見するとよく似ている構造を持っている。
 
 ただ、しかし似ているのはストーリーの構造的な部分だけであって、映画から受ける印象はかなり異なっている。それは韓流映画にはない工作員の「内面」、そして特務機関長の「内面」をこの映画が中心的に描いているからである。
 
 特に特務機関の長であるトニー・レオンの持つ「内面」の孤独や、毎日の命を張った任務によって「内面」が崩壊に瀕しかけている様子が精細に描かれていて、その部分が印象に強く残る。抗日団体のメンバーが銃撃で頭を半分なくした様子を見て、その後タン・ウェイとの情事の犀にその模様を語る場面があるのだが、その「内面」は追い詰められ、恐怖と隣り合わせているのである。あるいは崩壊に瀕していると言ってもいい。
 
 そのような崩壊に瀕した「内面」を持ったトニー・レオンが、タン・ウェイとの情事にのめりこみ、そこで常軌を逸したような激しいセックスに溺れていく必然性はよく理解できる。誰をも信じられない孤独な任務に従事する彼は、その一瞬だけ人間性を回復しうるのである。あるいは恐怖を逃れる瞬間を持つというべきだろうか。
 
 このような極限的な孤独や恐怖の強度を、この映画はよく描いている。戦争とは孤独な内面を生み出し、恐怖に震え崩壊する内面を生み出すのである。そしてその中でも消滅しきれない人間性や愛情が成立しうるのである。
 
 このような工作員と特務機関の内面は、韓流工作員映画にはなかったものだ。韓流工作員映画では、恐怖を描くことはない。工作員の恐怖や、情報局員の恐怖はそこでは描かれない。基本的に韓流映画では「壊れた世界」は描かれないのである。そのことをこの『ラスト・コーション』を見て強く感じた。
 
 戦争とは世界が壊れる経験である。世界が壊れた中で、それでも人は絆を求め愛国の理想や恋人との愛情を求める。それは世界の崩壊と隣り合わせた感覚であり、そのため感情的な強度も強くなる。その感情的な強度をこの映画はよく示していたと思える。
 
 だからここでの二人の恋愛感情や肉体を求め合う様子は、普通の恋愛とは異なったいわば「むき出しの恋愛」であり、「むき出しの欲望」なのである。戦争によってむき出しの生に還元された人間の中に「むき出しの恋愛」が宿る。それは最後の人間への信頼であり、信頼への希求なのであった。
 
 最後に女工作員のタン・ウェイはこの「むき出しの恋愛」に自らも引き込まれることで任務を忘れ、トニー・レオンを逃げるように言う。それによってこの虚構であった恋愛は終わりを告げ、工作員グループがつかまり処刑のサインをトニー・レオンがするところで映画は終わっている。「むき出しの恋愛」までも虚構であり、何も残らなかったこと、最後に彼女に贈った指輪が机の上で揺れているシーンで終わるが、それは限りない「内面」の空白を示すものでもあっただろう。内面さえ存在しえない特務機関長のニヒリズムを象徴するものであったと思える。
 
 ちなみにこの『ラスト・コーション』を論じた論文があるらしい。名前だけ挙げておく。
「引き裂かれた身体 張愛玲「色 戒」論」/東京大学非常勤講師 邵迎建
「張愛玲における時代と文学」/共栄女子短大教授 池上貞子