震災後にあらわになったこと

 
 今日は韓国から友人が来るので仙台空港まで行ってきた。もちろん激しい津波被害を受けたところで何度もテレビ放映もされた場所であって、その光景を重ね合わせて今の復旧されきれいになった空港を見ると、深く感慨にふけらされる。仙台ではどこに行っても震災の記憶にぶつかるのはやむをえないのである。
 
 ついでに空港から海岸部を一回りして見てみたが、大方被害を受けた建造物はみな撤去され、基礎だけが残された所が多かった。みかけは造成地のようである。そこにあった生活と風景は消え去り、空漠とした空間が広がっているのである。
 
 震災以後に頻繁に眼にし、聞くようになったのは、そのような日常性を取り去った裸の風景であり、裸の生のあり方であったのではないかと思えた。家という建造物や、車という道具が、ただの物体であり、津波の前にもろくもその道具性(つまり人間の日常性にとっての意味)を喪失してもろい物自体と化したのである。
 
 家や車だけではない。もちろん人間の生自体についても同じことが言える。人間の生が、日常的な意味や社会的なライフラインや物流などの保護下に存在していて、それを無意識の基礎としていることを、震災は強烈に教えてくれた。そこに暴かれたのはやはり裸の存在としての人間の生であり、ライフラインや物流が止まった時に現れる裸の生の姿であった。
 
 震災直後の記憶がとても辛いのは、そのような裸の生に還元されたひりひりするような感覚のためであると思う。そこでわれわれは真実を見てしまったのだ。その真実はふたたび日常性の風景のなかに戻ることができるのだろうか。そのなかに回収されることは可能なのだろうか。日常性に立ち返りつつある人(被災者)が裸の生存の次元にすぐに何かのきっかけがあれば立ち返ってしまうことは、再三経験していることである。震災後に失われてしまったのはそのような自然性としての日常の風景であり、保護されているという無意識の感覚であったのである。