ジュディス・バトラー『生のあやうさ』から

 
 「悲しむこと、そして悲しみそのものを政治的力学の資源とすること、それはあきらめて活動しないということではなく、苦しみ悩むことにどうやって同一化するのかという、自分自身の立つ位置を時間をかけて探していくプロセスであると考えられないだろうか? 悲しみがもたらす喪失の感覚、「私はどうなってしまったのか?」とか、まさに「いったい自分になにが残されているのか?」「他者のなかにあって私が失ったものとは何なのだろう?」といった問いが「私」を、知りえない、という領域に位置づけるのだ。」
 
 示唆的な文章。ことに震災後の状況が、哀悼と悲しみという喪失感にもとづく新たな政治的力学の資源となりうるという可能性を教えてくれる。