冬休み中に

 
 一本論文を書かなければならなかったのだけれど、結局全然書くことができずに終わりそうな情勢。
 
 日本浪漫派と保田与重郎についてのもので、主に保田の『蒙彊』を中心とした<外地>の問題について書きたいと考えている。
 
 多くの近代の文学者たちにとって<外地>は無意識的なものに止まっていたのに対して、保田与重郎はかなりその思考の中心に朝鮮・中国・蒙彊という<外地>を置いている。それは特徴的であり、再評価されるべきであると思う。戦争期の国際的な思考の場をよく表しているからである。
 
 保田は<外地>を日本文化との交通の中で捉えている。『蒙彊』の所々で<外地>の中に日本文化を発見したというような言及を残している。それは日本文化の起源、淵源をそこに発見したというように一見捉えられるが、もう少し注意深く読めば、それは日本文化の無意識的な起源の場を、その発生の現場においての交通のあり方を言おうとしていたのではないかという気がする。19世紀的な近代文学への批判へとそれはつながっていっている。
 
 だから<外地>は19世紀的な近代文学批判、近代文明批判へとつながっている。その批判の中心に<外地>を置いたことはある意味でとても画期的であったのである。
 
 しかしこのようなことは論文にまとめるよりも、むしろ評論作品を書いたほうが合っているのでは?いったい無事に論文は書くことができるのでしょうか…?。