光州出張

 先週の週末に韓国全羅道の光州に出張してきた。シンポジウム「東アジアの異文化交流と翻訳」出席のため。
 http://altair.chonnam.ac.kr/~jjss/bbs/view.php?id=community1&page=1&sn1&divpage=1&sn=off&ss=on&sc=on&select_arrange=headnum&desc=asc&no=89
 
 行きは19時間かけて、帰りも10時間以上かけての強行軍、しかも3泊4日でそれだけの移動をこなしての旅だったが、たいへん思い出に残るよいシンポジウムだった。発表も充実したものが多かったが、コメンテーターの皆様がよりそれを盛り上げてくれた。感謝したい。特に私のコメンテーターを務めてくれた高さんにはたいへん示唆的で刺激的なコメントを数々してもらってとても感謝している。
 
 その他にも数々思い出に残ったことがあるが、書き残しておきたいのは2つある。一つは今回の大震災での思わぬ余波ということだが、韓国での日本学科、日文学科の志望者が大幅に減ったということを会食の席上で聞いたこと。大震災の余波がこんな所に来ているとは思いもしなかったが、日本関係学科はもろにその影響を受けているわけだ。だいたい外国での日本関係学科は、国際的な関係での日本(他の国も含めて)の位置にすごく敏感だが、それで行くとこの大震災は長期的な国際関係において大きな影響を及ぼすということらしい。仙台では復興気分があるものの、思いのほか深刻な事態なので驚いた次第である。
 
 それから、実は光州は私が20代の最後と30代の最初の2年間を暮らした思い出の地である。その上、当時の光州(1989〜1991年)は、光州事件の影響が色濃く残っていて学生集会やデモが頻繁にあった頃でもあった。大学の前で機動隊の催涙ガスを浴びたこともある。そんな雰囲気の中での20代最後の2年間は、今思えば濃密で自分の進路に決定的な影響を与えた時間でもあったことを再確認した。全南大のキャンパスはとても大学らしくて美しく、散歩道などがあちこちにあるいい所だ。そんな中で懐かしい思い出に浸って、あれこれのことを一気に思い出した。当時聞いた歌(学生運動の歌なども)のこと、デモのこと、学生たちと遊んだこと、野外授業のこと、合宿でキャンプに行ったこと、修学旅行で済州島に行ったこと、等々。ノスタルジーに近いのだけれど、そんなことを思い出すとあれが自分の原点だったのだと思われてくる。70年代末の京都(こちらも学生運動が生き残っていた)と80年代末の光州と、その線をつなぐ所にある風景があってその感触を確かめたいがためにその後の自分の作業はあったのだと確信した。中上健次とファン・ソギョンらをつなぐ線とでも言おうか。その風景はまだまだ汲みつくせていないし、現在の韓流映画などもその原点は80年代末の韓国にあるのだと思う。それを言語化して問題化すること。東アジア的な知的風景の原点としての80年代末の光州。そんなことを考えてきた。