『TOKYOアイヌ』上映会終了

 
 今日は東北大学で『TOKYOアイヌ』の上映会を行って、無事終了した。予想したよりも大勢の方々が参加されて盛会裏に行われ、討論も活発に交わされたので、主催者側としてはたいへん嬉しい成果であった。
 
 やはり実際にアイヌを代表する弓野さんが語られることは、普段接することが難しいだけに、とても意義のあったことだったと思う。おそらく聴衆の方々もそのように感じられたことと思う。その次に2番目に演壇に立たれた深澤さんの講演もとても興味深いものだった。
 
 弓野恵子さんの講演は、アイヌの衣装を着て登壇されて、ムックリなどのアイヌ文化の紹介も所々ではさんで、内容豊富なものだった。火の神様(アペフチカムイ)の話や、戸口の神(アパチャンカムイ)の話、生まれ故郷の浦河のアイヌ部落の話、アイヌ料理の話、トイレの神様の話、カムイとともにあるアイヌの生活の話、和人であった父の実家の話、などなど色々な話をされたのだが、やはり心に残るのは「アイヌであること」をめぐってのさまざまな話だった。
 
 お父さんの実家の話をされた中で、お父さんがアイヌの家に小さいころに出されてその後アイヌとして暮らし、お母さんの遠山サキさんと結婚するのだが、その後しばらく経って父の実の両親の居場所がわかって会いに行った所、会ってくれなかったという話をされていた。息子でも「土人さん」とは会ってくれなかったというのであった。
 
 それだけでなく、アイヌが和人に対して親切に食べ物を食べさせてくれたり、客として泊めてあげたり、あるいは子供を育ててあげたりということをいくらしても、結局和人は「アイヌ」ということで町で会っても無視したり、ということが普通にあったようだ。いくら裏切られても親切を振る舞うアイヌに対して、それがことごとく報われない関係性のあり方に関してとても言いようのない思いをした。アイヌの切なさ、悔しさはいかばかりかと話を聞くだけでも思いやられた。
 
  
 講演ではそのようなことが主な話題だったが、その後打ち上げの懇親会でも、色々考えさせられるような話があった。『TOKYOアイヌ』映画の制作以後の状況なども聞けたのだが、まだまだ困難な状況は改善されるというのには遠い印象を抱いた。
 
 そんな一日を終えて、たいへん重い宿題をいただいたような気持ちを持った。このアイヌの問題は、今日で終わるのでなくてまた継続して取り上げるべきだということで、主催者側のメンバーの意見は一致したのである。