韓国大統領選挙

 
 日曜日に引き続きふたたび大きな選挙。予想に反して、意外に早い段階でパク・クネの当選確実が出る。かなり接戦の予想のはずだったのが、思いのほか差は縮まらずそのまま当選確実になる。家人に電話をかけてその話をしたところ、逆ギレされて電話を切られた。家内は絶対にパク・クネに大統領をさせてはならないという信念をもって、在外投票を今回はじめてしたのである。
 
 今回の選挙結果については詳しいことは分からないが、おそらくパク・クネの個人的な能力や魅力とともに、父親であるパク・ジョンヒ(朴正煕)へのある種のノスタルジー、そしてリーマンショック以後の経済状況とが複合しているのではないかと思われる。復古的な選択をしたのは日本と共通しているとも見ることができる。おそらくリーマンショック以後の世界経済の不況が、そのような復古的な選択を後押ししているのだろう。
 
 奇妙なことに(あるいは必然なのかもしれないが)、これで日本と韓国とが同時性をもった状況が生まれたことになる。東アジアの保守共闘というべきか保守の何かしらの連帯が生まれてくるということがあるかもしれない。以前聞いた話だが、日本においても韓国においても保守がナショナリズムを超えて連帯することが、東アジアの変革にとって重要だという示唆的な話を聞いたことがある。この日韓の同時的な保守政権の誕生が予想を超えてそのようなナショナリズムの枠を超える一抹の可能性を期待するばかりである。
 
 それにしても本当のところを言えば、日曜日以来疲労感と失望とで参っている。韓国と日本とが時差を置いているぶんにはどちらかが閉塞を打ち破る可能性を持っているのだが、両者ともに保守政権ということになるとどこに出口を見出せばいいのだろう。東アジアにおける左派の国際的連帯と再建がそのような閉塞状況を打ち破る切迫した課題なのである。
 
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 ところで、韓国の選挙ではほとんどいつものことだが、きわめて顕著な地域間の差異が現れる。パク・クネはテグ(大邱慶尚北道)出身なのでテグや慶尚道では圧倒的な強さを見せる反面、慶尚道と仲が悪いとされる全羅道ではまったくその逆の現象が現れる。つまり対立候補ムン・ジェインが90パーセント近くの得票を得るということになるのである。
 
 この地域対立は韓国の痼疾とも言えるもので、その解消が言われて久しいのだがなかなか解消するのは難しく今度の選挙でも顕著な対立構造を見せた。私は家内をはじめ知人の多くが全羅道にいるのでどうしても全羅道の方に肩入れしたくなる。
 
 全羅道に肩入れしたくなるのは、それだけではなくて実は全羅道が「東北」的な地域であることも関係している。近代史において政策的に開発が遅れ、政治的なヘゲモニーを常に慶尚道に握られてきた地域なのである。そのため政治的・経済的に主流から疎外された地域として見なされ、実際そのような歴史をたどった。光州事件の背景にはそのような韓国近代史の文脈が存在しているのである。1998年に大統領となった金大中全羅道木浦の出身なので、全羅道にとっては悲願を達成したということになる。その時のお祭りのような興奮を現地で体験もした。
 
 そのような文脈を介して今回の選挙を見ると、また別の感慨がわいてくる。いまだに全羅道は「東北」的な地域であるのだな、という感慨である。だいぶ金大中以来、地域間格差は緩和されてきたように聞いていたのだが、それでも今回の選挙でムン・ジェインに90パーセント以上の票を送るというのは、それだけ全羅道の選挙民の思いの強さが切実であることを示している。
 
 そこにはパク・クネが、近代史における地域間の対立の張本人であるパク・ジョンヒ(朴正煕)の娘ということも関係しているのだろう。彼の娘だけには入れたくないという光州や全羅道の選挙民の思いはよく理解できる。また、悪夢が再現されるのではという恐怖や不安もあるのではないかと思える。
 
 日本でも直接選挙を行えばそのような地域対立は可視化されるだろうか。東北地域や東日本を地盤とする候補と、西日本を基盤とする候補が、東京首都圏を主戦場として熾烈な戦いを繰り広げるという構図ができるだろうか。そのような地域対立が可視化することは当然あまり好ましくはないだろうが、それぞれの地域の思いを自覚させ表現させる効果はあるだろう。そんな選挙が日本でもあれば、われわれ東北人が東北候補を応援するのは当然であり、90パーセントを得票することもよく理解できる。
 
 そんなことを思いながら見ると90パーセントの得票とは実は悲しい近代史を背負った数字であることが分かる。思わずその数字に感情移入してしまうのである。