やっと一息

 
 今日は「神経症と文学研究会」という仙台地元での研究会があって、そこで作品解説をする。扱ったのは車谷長吉の『飆風』という風変わりな小説。もともと鋭敏でゲンを担ぐタイプだった作家自身と考えられる主人公が、上司が触れたエレベーターのボタンを汚らわしいと感じたために、ボタンに触れられなくなり、それが次第に増殖してとうとう家の廊下を5時間もかけて拭いたり、手を一日に500回も洗うようになる強迫神経症の症状を呈するようになるというお話。
 
 ただ、よく読んでいくと上司への嫌悪感は発症のきっかけに過ぎず、根本のところでは性的なものへの強い執着と嫌悪感(抑圧)との二重の感情があることが見えてくる。上司の事件がある前に、主人公は48歳で結婚しており、家に「他者」である女性がともに住むようになっている。その女性の「他者性」あるいは「性的な存在」としての妻がおそらくは強迫神経症を引き起こした根本の原因であるように考えられた。
 
 そして興味深いことは、その同じ妻が(彼女は詩人でもある)主人公の症状をすべて受け入れて、例えば「動くもの」が怖いため「動くな」と命じると2時間でも3時間でも同じ姿勢で静止していることが書かれている。そして彼女は主人公を精神クリニックへ連れて行き、後半ではわずかだが回復のきざしが見えてくる。つまり、妻は主人公の強迫神経症を引き起こした原因でもあり、またそれを回復に導く存在でもあるのである。
 
 精神医学を専攻している二木先生の解説もあったのだが、それによると幼少期の強い禁忌の感情(おそらく母親による禁止)のために性的なものへの強い禁忌の感情が生まれ、それによって強迫神経症が形成されるとのこと。禁止されるが、その意識下では強い執着や欲望が存在するわけだから、その意識下の欲望を表面化し意識化することが回復への道であるそうだ。この辺は精神分析の療法に似ている。そしてその欲望を表面化し意識化することに妻の存在が貢献していること、妻は「母親」的な存在であること、などを指摘されていた。
 
 なかなか興味深い解説で、質疑も活発に行われて面白い会となった。懇親会も様々な四方山話をした。
 
 
 そういう次第で、ようやく時間ができたので夜にはYOU TUBEを聞きまくる。この頃のお気に入りは張恵妹(A-MEI)。台湾の先住民歌手であるが、これが聞けば聞くほどすばらしい。感情への訴え方は群を抜いている。何度も何度も聞いたり映像を見ていたら、だんだん安室奈美恵に似ているような気がしてきた。もちろん安室奈美恵も沖縄出身であるので、マイノリティと言えなくもないという共通性もある。同じ時期にデビューして、国民的な人気を得たという点も似ている。
 
 ただ、張恵妹が特異なのは、彼女がずっと中国名の張恵妹で活動してきたのだが、2008年だったかに自分の先住民族名であるアミト(阿密特)という名でアルバムを出して、いわば二重のアイデンティティを直接歌の中で表現しだしたことが挙げられる。実に興味深いのだが、歌の中で張恵妹と阿密特の二つのアイデンティティが、対話し互いに呼びかけあうのである。この二つの自我、二つのアイデンティティの対話はあまりにも興味深くて、いつか本格的に考えてみたいと思っているほどである。(評論を書けるか?)
 
 日本でそのような二重のアイデンティティは存在するだろうか? 地方のローカルなアイデンティティと共通語的なアイデンティティの二重性を、本格的に表現の問題として表出した歌手、作家などは、あまり思いつかない。しかし、張恵妹のケースは実は特殊なケースではなく、ある典型例と考えた方がよさそうである。実は多くの人にこのような二重のアイデンティティは見られるし、それを調整しながら暮らしているはずである。
 
 ここで思いついたのは、在日コリアンの二重のアイデンティティということがある。つまり日本名(通名)と本名との二重性のことである。日本ではこの在日コリアンの二重のアイデンティティがもっとも張恵妹のケースと類似している。彼らがその二重のアイデンティティをどう対話させ、表現しているのか。どう調整しつつ暮らしているのか、そんなことを通じて張恵妹の二重の対話は東アジア的な場へと開かれていくだろう。