塚本晋也『鉄男 THE BULLET MAN』

 
 この世界観は単純だし、『AKIRA』の線上にあることがすぐに分かりそういう意味では感心しなかった。
 
 ただ、そのような単純な世界観をもって映画的世界を構築し、突破したことはすごいことだと思われた。
 
 『AKIRA』が持っていた土着性のようなもの、あるいは土地性のようなものが吹っ切れて、どこでもない場所、どこでもありうる場所としてこの映画の「日本」は存在している。その意味で突破的な印象は強い。
 
 このような世界観を混成的な世界観と言えるだろうか。「日本」でも「アジア」でも「ヨーロッパ」でも「アメリカ」でもなく、しかもどこでもありうるような世界観。そのような混成的な世界観をともあれ実現して突破したという印象。
 
 例えば岩井俊二が『スワロウテイル』で90年代にやろうとしたことを、やってしまったという感じだろうか。実際の日本は2000年代に入って自閉してしまったが、そういえば90年代の混成的な世界観はこういうものだったという懐かしい思いが甦った。現在的な映画の中にもそのような混成的な世界観は確かに存在していることを知って、ある意味ほっとしたところもある。
 
 どこでもない場所としての「日本」。無機質な場所としての「日本」。それが2000年代のハイブリッドな可能性としてあることを示してくれた作品であった。