今日は

 
 ある会合で映画『ウリハッキョ』の上映があって、その後参加していた1.5世(1世?)のハルモニのお話を色々と伺う機会があった。仙台でアジアの女性の交流や韓国文化やキムチの作り方など、色々と市民活動をなさっている方でもある。
 
 文盲で読み書きのできない父親の話(その後ガラス職人となって成功するらしいが)から始まって、家族兄弟が済州島が故郷なのに北へ「帰国」してしまう話。最後まで兄弟の誰かは行きたくないと泣いていたという話。7人兄弟の中で彼女だけが日本に残り、ほかの兄弟は現在安否さえ分からないという話。手紙のやり取りもできないし、一度だけ中国人と結婚した妹と北京で会えたという話。自分は日本人と結婚したため在日の中で苦労し、朝鮮語を学ぼうとして行ったら断られた話。60歳を過ぎてから免許証をとって、ドライブが好きになったという話。20年位前に帰化しようとして書類を揃えたのにあれこれ審査にひっかかって結局諦めたという話(今はどうぞ帰化してくださいと言うのだと言って、ため息をついていた)。粉じんのために肺がんにかかって、それを温泉に通って完治したという話。病院で薬を自分で判断して、もっと少なくしてくれと医者に注文したという話。故郷の済州島に行ったら、村の前に父親の碑が立っていた話。聞いたら当時500円のお金を故郷に寄付していて、それで村の施設を作ったという話。などなど。
 
 そんな話をほとんど1時間かそこらの間で怒涛のように話して、それを若い者(?)は聞いていた。もちろん私も相槌を打ちながら聞いていたのだが、並みの小説を読むよりも面白い怒涛のお話であり、実に興味深い時間であった。
 
 思うに法や制度の保護を受けられない1世や1.5世の人生は、物語に満ちている。自らの頭と足と才覚とで生きていくしかない、それも様々な差別や偏見の中でそれに抗いながら生きていくしかないのだから、それも当然である。そんなアウトローの生、むきだしの生は、人生の真実を開示してくれるし、感銘を覚えさせるのである。
 
 以前やはり1世のハラボジの話も聞いたことがあるが、語りたいことが山ほどもあるのは同様だった。波乱の人生、むきだしの生を生きてきた中で、それを語り伝えたいという強い衝動があるように思えた。
 
 韓国でいう「身世打令(シンセタリョン)」、自分の人生の恨(ハン)を物語として語ることが、ここには生きているように感じられる。1世たちの人生は「恨(ハン)」に満ちているのである。それは制度とシステムに守られて生きてきた人からは窺うことのできない、人生の深い真実を語ってくれるのである。