「朝鮮と台湾の植民地大学」シンポジウム

 
 昨日、東北大学で「朝鮮と台湾の植民地大学」シンポジウムが開かれた。
 
 発表者は台湾から呉文星氏(台湾師範大学)、韓国から白永瑞氏(延世大学)、日本から駒込武氏(京都大学)という各国での植民地教育史の第一人者といって過言ではない豪華メンバーを揃えたもの。めったにこんなメンバーは揃うものではない。私もコメンテーターとして参加した。
 
 呉文星氏の発表「台北帝大と熱帯研究」は、台北帝大の南洋・熱帯研究の詳細をめぐって、台北帝大の設立経緯から始めて、文政学部、理農学部の各講座の研究内容にまで踏み込んだ詳細な報告を行ったものだった。まずその詳細なデータに圧倒される。台北帝大には「南洋史学科」が設けられていて、南洋研究は設立時からその大きなプロジェクトとしてあったことになるが、土俗学・人種学講座などだけでなく、言語学および心理学講座でも「民俗心理学」という名の下に台湾原住民の形状知覚や色彩の好み、行為特性などの研究が行われていたのだと言う。
 
 台北帝大が、その設立時に多くの札幌農学校(後には北海道帝大)からのスタッフが来ていたことの指摘もあった。札幌系と呼ばれる北海道からのスタッフは農学部の場合、半数を超えていたと言う。これは総合討議のときにも話題となったが、開拓型・あるいは植民地型の学問の性格が共通していたのでないかという指摘があった。
 
 白永瑞氏の「京城帝大の内と外――韓国学術史の再認識――」は、京城帝大の近代的な学術制度としての側面を「制度としての学問」と呼び、それと対抗しあるいは協調した民間の学術団体およびジャーナリズムを「運動としての学問」と呼び、その両者の対抗関係を視野に入れて韓国の学術史を再検討するものであり、きわめて知的刺激に富むものだった。
 
 ことに1930年代の「朝鮮学運動」をその制度的学問と民間の「運動としての学問」が相互に浸透し、葛藤する構造のなかで読み解くということを通して、民間の土着知識(local knowledge)が掘り起こされたこと、『新興』、『震壇学報』などのジャーナリズムレベルでの学術雑誌が、その意味で批判的な学問としての性格を持ち、帝国日本の学知から独立しようとする「分裂的な主体化の意思」が含まれていたことが述べられた。
 
 この「運動としての学問」という分析枠組みはきわめて示唆的なものであって、一つには制度的な学問の枠外にあった民間のジャーナリズム的な知や民間学術団体の知を主題化できるということだけでなく、また「土着の知識」というネイティブの知、あるいはヴァナキュラーな知のあり方を主題化し、それとの関連や葛藤のなかで制度的な帝国大学の知が存在していたことを明確にする意味がある。
 
 帝国大学の知がだから静態的な孤立したものではなく、むしろ民間の「運動としての学問」との緊張関係のなかで成立し、展開されたことがそこから導き出される。個人的にもこれまで気になっていたなぜ京城帝大や台北帝大での学問が、内地の学問と異なり実践的な性格を持っており独自の学風を持っていたのか、また教員個人の意識に即してみるとき彼らが「苦悩や恥」の意識を持っていたこと、などがこの枠組みのなかから理由が見えてきて、たいへん目が開ける思いをした。
 
 駒込武氏の「植民地官僚と帝国大学」は、台湾の植民地官僚であった内海忠司を取り上げて、日本での植民地官僚の養成とまた現地での実務がどのように行われていたかを豊富な写真史料などを交えて述べたもので、当時のリアリティがありありと感じられるものだった。台湾の現地人の官僚のケースも分析され、彼らの見えない壁(制度的な壁ではなく慣習的な壁)によって昇進をさえぎられる嘆きの様子も言及されていた。
 
 シンポジウム終了後の懇親会では、3人の先生と参加者10数名が様々な話題で盛り上がったが、白永瑞先生の娘さんが京郷新聞の新春文芸に当選して小説家デビューしたという話を聞けた。まだ本は出ていないそうだが、どんな小説か興味深い。忘れていなければ送ってくれると言っていたが…、どうなるか。