長谷正人『映画というテクノロジー経験』

 今日、長谷正人『映画というテクノロジー経験』を買ってきて、さっそく読む。第1章「リュミエール映画の考古学――「自生性」の発見」がことに秀逸。映画的な視覚のあり方を自然的な意味に満ちた視覚とは乖離し、対立した無意味なものとして位置づけるところにきわめて刺激を受ける。その無意味性を一義的な意味づけへとその後の映画は回収していくのだが、そのような起源にあった無意味性は今なお映画の画面の端々には存在しているのだ。この映画の起源にある無意味性について――あるいは意味を解体するものとして反意味性とも言いうるだろう――もう少し深く考えること。
 

映画というテクノロジー経験 (視覚文化叢書)

映画というテクノロジー経験 (視覚文化叢書)