スーザン・ソンタグ『隠喩としての病い』

 必要があって、スーザン・ソンタグの『隠喩としての病い』を読む。癌の持つ隠喩的イメージ、社会的イメージについて考える必要のため。
 
 以前に読んだときには感じなかったが、この本がきわめて時事的な問題に触れている社会的文脈を持ったものであることに改めて気づく。スーザン・ソンタグ自身の癌体験から執筆された背景を持っているが、その分析は70年代の社会的な文脈――ベトナム戦争、植民地戦争、癌との闘い――に及んでいて、社会的なマスイメージとしての癌への批評といった様相を強く帯びている。
 
 ニクソンによって1971年ごろに癌の「征服」が公約され、「癌との闘い」が開始される。ソンタグによればそれはケネディの月世界の征服への対抗と言う意味合いだったとされるが、今の文脈から言えば「テロとの闘い」と酷似して見える。癌とテロリズムはきわめて近接したイメージを有しているのである。
 
 癌との闘いが長期戦になるのに従って、アメリカ癌協会の「癌は治せる。…大きな進歩があった」という楽観論と、実地の多くの専門家たちの「いつ終わるともない植民地戦争の泥沼にはまって、ゲリラと一般住民との区別もつけられず、戦うことにさえ疲れてきた……悲観論」との二重の反応の間で苦悩しているのも、現在のテロとの闘いを彷彿とさせる。
 
 癌との闘いが公的にも個人的にも戦争行為に類似していること、特に敵の正体の知れないゲリラ戦やテロとの闘いに類似していることは改めて注目すべきだろう。放射線療法という正常な細胞をも殺してしまう「オペレーション=作戦」は、戦闘員と非戦闘員の区別のつけにくいゲリラ戦や、テロとの闘いを暗喩している。そしていったん外科手術(=空爆、地上戦)によって除去しても、他の器官(=戦闘地域)に転移して、癌が進行することも同様に類似したイメージを形成している。
 
 SF的なイメージとの結合も指摘されていた。身体の内部に巣くった正体不明の異物としての癌細胞。それはエイリアンなどのSF的なイメージを喚起しもする。テロとの闘いと、SF的なマスイメージとの重なったところに、癌との闘いの社会的なイメージは存在している。いつ終わるともしれない長期戦としての、悪夢としての癌との闘い。