音楽とムーダン(巫女)性

 
 以前から感じてきたことだが、音楽は一種のムーダン性(「ムーダン」は韓国の巫女)を持っている。巫女性と言ってもいいのだが、もうちょっと「神」が降りてきた憑き物の状態を指している。あるいは憑依性といってもいいだろう。韓国のムーダンはまさに神がかりの状態で歌ったり踊ったりするのである。そのような憑依性によって、一部の歌手は際立ったパフォーマンスを演じる。例えば中島みゆき椎名林檎のタイプの歌手のことである。
 
 ムーダン性は優れた歌手の条件であるのかもしれない。あるいは優れた芸術家の条件であると言ってもいいのかもしれない。日常的な世界の規範を脱して、あの世や死者、不在の者たちと連帯し、交流する資質は芸術的な才能ときわめて近接している。そしてそれは日常的な意識から見れば、狂気にも隣接しているのである。彼女たちの歌、例えば椎名林檎の歌詞がほとんど狂気に近いのはそのことを表している。
 
 ところで、沖縄はムーダンに当たるユタという巫女が今でもたくさん存在している土地である。映画でもユタは重要な役割をしてしばしば登場している。家の運命や個人の運命を左右するお告げをするのである。そのユタのムーダン性と、沖縄に優れた歌手が多く存在しているのはおそらく深い本質的な関係があるのである。
 
 沖縄の元ちとせ上間綾乃といった女性歌手は、とてもムーダン性の強い歌手である。思い返せば沖縄出身の女性歌手や芸能人たち――安室奈美恵仲間由紀恵などもどこかムーダン的な風貌を備えている。沖縄とムーダン性というのはとても興味深く音楽の本質に迫るような問題であると思われる。