接続の政治学ワークショップ

 
 今日は満月。そして9・11から9ヶ月目の日。
 
 少しこの所頑張りすぎたので、やっぱり疲れが出た。毎週、週末に京都、東京と出かけていった疲れだ。もちろんその時はハイテンションだから気がつかないが、少し経って疲れが溜まっているのを自覚する。少し養生しないと。
 
 東京出張は「接続の政治学」ワークショップ出席のため。at日本大学
 パネラーが韓国から2名、日本から2名、コメンテーターも韓国1名、日本1名という構成。
 韓国からはチョ・ジョンファンさんという『認知資本主義』を書いた方、またクォン・ミョンアさんというジェンダー関係、フェミニズム関係をやっている方が来た。日本側は渋谷望さん(『魂の労働』)、清水晶子さん(フェミニズムクィア理論、『Lying bodies』)の2名。
 実はその前の週末のキム・ソヨンさんの講演が「認知資本主義の時代」を扱ったものであったことがあって、その延長戦というべきか必然的な呼びかけを感じて、行かなければならない気になった。コーディネーターをしている高榮蘭さんとも11月の光州でのシンポジウムで久しぶりに再会してとても感激したのでそのためでもある。
 
 認知資本主義についてはキム・ソヨンさんの講演を通じて、2000年代の生政治を規定しているものという認識は持てたが、まだその射程がどれほどのものか、例えば資本主義の新たな段階として規定できるものなのか、といった所はよく分かっていない。キム・ソヨンさんによれば9・11やカトリーナ台風という災難資本主義とリンクして理解されているが、そうなのかどうか。とりあえず、グローバル経済が『帝国』論を再生産したとしたら、そのグローバル経済の危機が認知資本主義論あるいは災難資本主義論として再生産されているのではないかという理解の水準。
 
 チョ・ジョンファンさんは2011年革命という言葉を使って、アラブでの民主化革命とウォールストリートの占拠とをリンクさせ、その状況を規定するものとして認知資本主義を捉えているようだったが、根本的な疑問――資本主義の新たな段階として捉えられうるものなのか、そこで何が本質的に変わったのか――といった所はまだ解決された気はしなかった。むしろチョ・ジョンファンさんの発表を聞いた限りでは、マルクス主義的な枠組みの中での資本ー労働関係の変容という感じがした。
 
 もともとあまり社会科学的な思考には馴染みがないというのもあるが、抽象的な金融や債務経済と、反原発・占拠運動とが対置されているところにも違和感を感じた。何か中間の項が抜けているのではないか? 具体的な生政治を規定しているところの「剥き出しの生」への視点が(少なくても発表の範囲では)欠けているのではという気がしてしまった。
 
 渋谷望さんの発表も同じような印象。やはり社会科学的なタームを使って、原発の外部的なコストや、資本主義の外部化するコスト(リスクと言ってもいい)について論じていたが、その資本主義の見えないブラックボックスのような外部化されたリスクについての論は興味深いものの、それが生政治の局面とどう関わるのかといった点はやはりよく見えなかった。
 
 その点でクォン・ミョンアさんの「不/可能なシングルライフ」という女性のシングルライフを扱った発表は、具体的な生政治の局面をジェンダーの側から扱っていて、色々と考えさせられた。具体的な生の状況に対しての悲しみの情動、哀悼の情動、を扱ったものでもあり、その翻訳可能性/不可能性についての示唆を行った論でもあった。この悲しみや哀悼の問題に関しては、震災以後個人的にも考えてきたことであったので、とりわけ示唆を与えてくれるものでもあった。悲しみや喪失の感情は個別的であり、翻訳不可能ではないのか、という疑問。被災地と非被災地での感情的な連帯、あるいは感情的な翻訳は不可能でなのではないかという疑問、にクォン・ミョンアさんの発表は触れる性格のものであった。もう少しこの悲しみ/哀悼と現代の生政治については考えて見なければならないと思っている。
 
 清水晶子さんの発表「〈未来〉への懸念と〈過去〉のクィア化」は、震災後の時間性の変容や切断のあり方を問題としたもので、9・11以後新たな時間性が導入され「罪のない」新たな国民主体(未来の国民としての子どもたち)が切断されたものとして立ち現れていることを論じたものだったが、実はこの発表を聞いて個人的に深く情動を揺すぶられた。この切断や新たな主体の立ち上げということは、中央のメディアが震災直後から行ってきたことで、少なくても東北の被災地での感覚とは異なっている。被災地の人々は切断などを望んではいないし、ただ失われてしまった日常/家族/風景との連続性を希求しているだけである。時間性が変容したということを言うのはいいが、そこには変容することを拒否したい具体的な被災地の生があることは意識されていなければいけないのではないか。新たな主体として立ち上がることもできず、かと言って以前の生との連続性を断ち切られ、悲しみと哀悼の中にいまだある被災地の生に寄り添う言及があってもよかったのではないか。その意味でとても残酷な発表であったように思った。被災地の経験と悲しみ/哀悼の情動は、震災の初期から一貫して翻訳不可能なものとして、不可視なものとしてあり続けているのではないだろうか。中央に行くたびに思うこのような経験と情動の非連続性、翻訳不可能性を、今回もまた改めて感じたのであった。そのために情動を揺すぶられて、つい手を挙げて発言してしまった。あまり詳しいことは言わなかったけれど。
 
 しかしもちろん全体的にはとても知的刺激に富んだ、楽しいワークショップであった。色々な人にも会えたし、とても思い出に残る会となった。