記憶をし続けること

 
 NHKスペシャルでで、1980年に新宿であったバス放火事件の被害者女性のその後を追った番組「聞いてほしい心の叫びを バス放火事件 被害者の34年」をやっていて、かなりの衝撃を受けた。
 
 この事件自体を知らなかった(あるいは忘れていた)ということも一つあるのだが、もう一つ事件のその後34年を追って行くことで見えてくる複雑な加害者と被害者の様相に、衝撃を受けたことがある。
 
 この事件の被害者である杉原美津子さんは、80パーセント火傷の重傷を負いながら何度もの手術の末に回復、その後事件と向き合っていって、事件を扱った本も書いている。
 
 彼女がその中で加害者の不遇な生い立ちや境遇を知るに至り、「加害者を憎むことはできません」と著書の中で書いたことが、世間の不評を買って彼女は二重に追い詰められもする。
 
 彼女が「被害者を憎むことはできない」という認識に至り、実際加害者と接見もしているのは、彼女がとても強い意志の持ち主であり、事件と向き合いそれを克服していこうとしていることを示している。
 
 彼女のその意志はとても尊いものであると思う。世間の「厳罰主義」や被害者意識を強調する風潮にさからって、そのような意志を表明できることはとても勇気のいることであると考えられるからである。許しの問題にも通じるものである。
 
 しかし彼女がそのような意志の下で事件と向き合い、また身体じゅうに残る火傷の跡と向き合いつつ、それと苦闘する34年の間に、私も含めて世間は事件そのもののことを忘れていく。新宿の事件現場にも、そして私たちの意識の中にもほとんど痕跡をとどめていないほど、事件の記憶は忘れられていくのである。
 
 34年ぶりに彼女はそれまで避けていた事件現場を訪れ、今も運行している同じバスに乗る。そこでは何の事件の痕跡も残していない別の日常が営まれている。何事もなかったかのように日常は回復され、続いていっているのである。
  
 生々しい身体の火傷の跡と、記憶の痕跡、そして事件と向き合ってきた時間は、まったくその日常と異質に見える。違和として存在している。そのことの持つ衝撃に打たれたのである。
 
 事件は記憶され、例えば新聞の中に、年表の中に、教科書の中に記憶されていくかもしれない。あるいはそれさえもされずに名前さえ与えられず忘れられていくかもしれない。しかし事件の痕跡自体は身体の上に、記憶の中に、ありありと残されているのである。そして記憶をし続けていく意志がむしろ違和を与えるようにそこに存在し続けている。
 
 そのことの持つ異様な迫力と残酷さに衝撃を受けたのである。
 
 もう一人の被害者である女性と出会い、「被害者であることの孤独」について杉原さんが語る場面があった。「被害者であること」は共有されえない体験であり、孤独な体験である。同じ被害者であっても被害の程度によってそこには意識の差異が存在している。重度の被害者と中度の被害者の間には、体験の質と記憶の内実が異なっているのである。むしろ杉原さんはそのような共有されえない「孤独」の中で、加害者の「孤独」に通じるものを感じていたように見られた。加害者がその「孤独」に耐え切れず、刑務所内で自殺したことを聞いた杉原さんは、もっと事件と向き合って生きてほしかったと語っている。そこには自らの「孤独」と通じるような「孤独」を生きている加害者への不思議な共感がうかがわれた。言葉は悪いが、被害者は「事件と向き合う」という意思を通じて、加害者と体験を共有することという事態が起こりうるのである。
 
 そのことの持つ不思議な感覚も、衝撃を生むものであった。
 
 記憶をし続けること、事件を生き続けること、そのことの持つ深い意味について考えさせられる時間だった。もちろんこのことは戦争の被害者と加害者にも通じるし、震災の被災者にも通じる意味を持っている。事件後、震災後を生き続けること、そのことの持つ意味について多くのことを考えさせられた。
 
 
 

春の報せ

 
 と言っても桜の開花のことではない。某文芸誌新人賞からの結果の報せが届いたと言う次第。結果は残念ながら選考には落ちましたというものだった。しばらく落ち込んだものの、まあ最終選考にまで残ったということで自ら慰めることにする。
 
 春のよい報せだったらもちろん良かったのだが、しかし色々な意味で自省できたのでよい経験となった。自分がやりたいこと、やらなければならないと思っていることを、少しなりとも整理できたし、だいたいの方向性は見えてきたと思う。アジアにおける近代文学の発生をメディアと帝国との磁場の中から考えて行くこと、その意味で世界に開かれた同時代性の中で思考しうること、その辺をもう少し地に足を付けて考えて行けば、次のステージに進むことができるように思えてきた。
 
 オリエンタリズムチャップリンカフカ魯迅李光洙、そして中島敦漱石二葉亭四迷などを取り混ぜて、ベンヤミンのスパイスを利かせて、フロイトマルクスの隠し味を入れて、次の料理を作ってみたいものである。かなり豪勢な料理ができるのではないかと思っている。
 

新年度開始

 
 今日から新年度。今年は講座代表となり、新入生の指導学生としてロシア人学生、日本人学生の2名が入る。今いる指導学生は、韓国人1名、中国人1名なので、ますます国際的になってきた。去年修了した韓国人の李敬淑さんが、今日から宮城学院女子大学の講師となった。研究室のためにもいい刺激となることだろう。Pride of Our Youngusilである。
 
 そして、非公式情報だが、科研費に通ったという情報が入った。まだ公式の報せはないが、どうも通ったらしい。実はこれまで5年間落ち続けていたので、かなり嬉しい知らせである。苦節5年、何気なく過ごしていたが内心はこんちくしょうと思いつつ、来年こそはリベンジをと思い続けていたのである。そのリベンジが叶ったことでとても嬉しい。晴れて一人前の研究者として公認されたような思いとでも言おうか、毎年韓国に行けるようになるのも嬉しいことである。
 
 

ケンブリッジの選んだ死ぬまでに読みたい30冊

 
 ケンブリッジニュースで、死ぬまでに読みたい30冊のリストを上げていた。興味深いのでリンクをはっておく。

   http://www.cambridge-news.co.uk/Whats-on-leisure/Books/30-Cambridge-books-to-read-before-you-die-20140306145355.htm
 
 ちなみに
  JG Ballard - Empire of the Sun (1984)
  Rupert Brooke - Collected Poems (1911-14)
  Lord Byron - Don Juan (1819-24)
  Charles Darwin - On The Origin of Species (1859)
  Margaret Drabble - The Millstone (1965)
  EM Forster - A Room With A View (1908)
  Ted Hughes - The Birthday Letters (1998)
  John Milton - Paradise Lost (1667)
  Salman Rushdie - Midnights Children (1981)
  Laurence Sterne - The Life and Opinion Of Tristan Shandy, Gentleman (1759)
  Zadie Smith - White Teeth (2000)
 
 などが挙がっている。みな、ケンブリッジとの関係がある人々たちだと言うことである。18世紀から21世紀まで、分厚い歴史を誇っていて壮観である。ほとんどイギリスの文学史(文化史)そのものである。
 

『明日、ママがいない』

 
 水曜10時からのドラマ『明日、ママがいない』(第8回)を見て、深く情動を動かされた。おそらくドラマを見て、これほど情動を動かされたのは久しぶりのことだ。
 
 来週の第9回が最終回となるので、これまでの様々な登場人物たちのエピソードや葛藤が収束に向かっていく回となるわけだが、それにしても劇的な展開が続く回となった。主要な児童施設での人物たち――ポスト、ピア美、ドンキ、ボンビの4人――がそれぞれ収束に向かってドラマティックな展開を見せる。一人一人の人生の経緯や、里親との関係、実の親との関係、それらが丁寧に描かれて、4つのドラマが並行して展開する。そこに施設のボスである魔王とアイスドールの事情も加わって、かなり複雑なストーリーが同時並行して進むことになっているのである。
 
 4人の主要な人物たちのストーリーは、どれも丁寧に同じような重みをもって描かれていて、それぞれ心に迫るものがある。ポスト(芦田愛菜)が主人公級と言ってもいいが、他の3人のストーリーと子役の演技もそれぞれ印象深いものである。今回、特に中心となったのはピア美とドンキの2人の事情だった。どとらも深く心を動かされたが、ピア美がピアノコンクールの全国大会に出場して、そこに見に来た実の父親と再会する場面は鳥肌が立つほどだった。
 
 ピア美はもともとお嬢様育ちの子でピアノが特技なのもその頃ピアノを習っていたためだが、両親は事業に失敗してしまい蒸発、施設に入ることとなる。施設でも他の子とは違いプライドが高く、自分の美貌とピアノの才能を常々鼻にかけている。ただ、ピアノコンクールにもしかしたら父親が来るかもしれないと気にかけ、ポストに探してくれるように頼む。父親は実はピア美のことをいつも気にかけているのだが、しかし貧しい生活の中に彼女を巻き込むことを良しとしないで、コンクールでただ遠くからピア美のことを見ているだけだった。
 
 ピア美がいつもプライドを鼻にかけている裏で、実は心に深い傷を負っていたことは明らかである。彼女がピアノを一生懸命に練習する内心には、もしかしたら実の父が見に来てくれるかもしれない、という一抹の期待があったことが分かる。コンクールの直前、ポストが実は父親が前回のコンクールに来ていたことを告げると、彼女の心は動揺する。彼女の順番となり、ピアノを演奏するが、会場のどこかに父親がいることを感じているピア美はとうとう演奏を中断してしまう。彼女はステージに立って、泣きじゃくり、「パパ」と呼びかける。「パパと一緒がいい! パパー!! パパ―!!」 

 
 この場面が感動的だったのは、それまでピア美が心の傷を表に出すような子ではなく、いつもプライドが高かったのに、それをかなぐり捨てて、皆のいるのも忘れて会場のどこかにいる父親に向かって叫びだすその瞬間の迫力にある。心の一番奥に隠してきた深い傷を、ついに全身で表し泣きじゃくるピア美の演技には鳥肌が立った。
 
 もう一つ、今回の回ではクライマックスがあって、ドンキの実の母親が突然施設にやってきてドンキを引き取ると言いだすシーンだが、そこに里親が現れて、ドンキは葛藤に陥る。実の母親は、法的にも常識的にも立場が強いわけだが、魔王は彼女の前で土下座し、頭を下げる。「私はコウノトリです。間違って子どもを配達してしまうこともあるのです。」と言って、親を子供に選ばせるよう懇願する場面である。
 
 ここには実の親と里親との間の関係に対するメッセージが託されている。事実の親と真実の親、という言い方がされていた。愛情、さまざまな家族の形、里親と言う家族のあり方、そんなドラマのメッセージが凝縮された場面であった。おそらく今回の放送がもっともドラマの伝えようとしていたメッセージ性がよく現れていた回だったのだと思う。最初の騒動がなければ、もっと違った形でこのクライマックスが描かれたかもしれないと思うと、残念でもある。もともとのバージョン(構想)の方をぜひ見てみたいものである。
 

未来的な社会としてのオーストラリア

 
 先日、5泊6日の日程でオーストラリア・シドニーを訪れてきた。訪問の模様はいつか写真などを交えて整理したいものだが、とにかく印象的だったのは多文化的・多人種的なシドニーの街のありようだった。オーストラリアが以前の白人中心主義的な路線から多文化主義に転換したことは知識としては知っていたものの、それを実地に見てみるのはとても刺激的で興味深い体験だった。
 
 ことにアジア系移民が本当に予想を越えて多く、どこに行っても中国人、韓国人たちがいたことが印象的であった。われわれ一行は韓国語ができる者が多かったので、所々で韓国人たちにお世話になった。特にワーキングホリデーで来ている若い学生たちが目立った。それに比べると日本人は企業の駐在員などが多いらしく、シドニーの街中でお目にかかることは少なかった。
 
 以前、横光利一芥川龍之介に「君は上海をみておかねばならない」と勧められて上海に渡り、その後長編小説『上海』を書いている。その伝で行けば、今の世界、少なくてもアジアの未来を見ておくためにはシドニーに行ってみるべきだ、と言えるかもしれない。オーストラリアが多文化主義に転換し、それがどのような効果と結果をもたらしたのか、について見ておくべきだという意味でである。
 
 日本は早晩、移民の受け入れに舵を切り、多文化社会化する方向に進まざるをえないことははっきりしている。おそらく2010年代のうちにも徐々に移民を受け入れる方向へと進んでいくことだろう。そうすればオーストラリアの多文化主義化の道を約50年遅れで日本も経験していくことになることだろう。移民社会化、多文化主義化は多くの日本人の心配しているよりもずっとよい効果を日本社会に与えるはずである。何よりも少子高齢化はこの移民社会化によって改善されることだろう。シドニーの街の雰囲気は若々しくロマンチックなものだったが、それは若い移民たちを多く受け入れたことによっているのは明らかである。日本も移民の受け入れによって多くの経済的・文化的な利点を発見すれば、21世紀の日本は多文化主義化に向かうことは間違いない。それは日本の希望であり、生き残るための道でもあるのである。
 

※ オーストラリア文学のいま――多文化社会のなかのオーストラリア文学
    http://culture.australia.or.jp/articles/yasue_arimitsu/
 
 
 

ソチオリンピック終了

 
 昨日の夜、閉会式が行われて17日間に渡ったソチオリンピックが終了した。今回のオリンピックは、新学期からロシアの留学生が来ることもあって、かなり集中して見た。後半の1週間はオーストラリアへの出張が入ってあまり見られなかった(オーストラリアではあまり中継していないようだった)のだが、ともかく開会式から閉会式まで一通り見たので、かなり熱心な視聴者に入ると思う。
 
 今回のソチオリンピックはロシアが(というよりプーチン大統領が)全力を挙げて開催したので、とても見るべき点が多かったことが挙げられる。ソチという冬季オリンピックの開催地にはまるでふさわしからぬ土地に、巨額の投資をして豪華絢爛なオリンピックパークを作り上げた点、ヨーロッパ・アメリカの諸国がかなり批判的なスタンスで関わった点、ロシアの文化や歴史などを前面に打ち出して新しいロシアのイメージをプロパガンダしようとした点、等々いろいろな意味で面白いオリンピックだった。
 
 冬季オリンピックはもともとヴィジュアル的に映える要素が多いのだが、その点を最大限に生かした演出が多かったように思われる。あまり詳しくはないが、冬季オリンピックの歴史の中で、ヴィジュアル化・スペクタクル化を進めた大会だったのではないだろうか。特に開会式、閉会式の先端的なヴィジュアルイメージを多用した演出には、このオリンピックの理念とも言うべきものが現れていたように思われる。
 
 それは簡単に言ってしまえば、社会主義ソヴィエト連邦から離脱した新たなロシアのイメージ――モダンでグローバルな先進テクノロジー的なイメージ――をヴィジュアル的に可視化するという点にあったように思える。そのスペクタクル化されたロシアの先進的イメージのために、5兆円という巨額の投資が行われ、プロパガンダが行われたのである。ロシアの文学や音楽、バレー、サーカスという文化資本がそのために最大限に動員されていた。
 
 このオリンピックがそのような華麗さに隠されて、政治的なプロパガンダの意味合いが強かったことは言っておかなければならない。ロシア国内での民族紛争を覆い隠し、統合されたロシアという政治的なイメージを押し出し、国外的には先進的でグローバルなパートナーとしてのロシアイメージを強調しようとしていた点は指摘しておかなければならない。
 
 日本にいるとよく分からないが、おそらくそこには旧ソヴィエト圏の国々に対するプロパガンダであると同時にヨーロッパの国々に対するプロパガンダという意味合いがあったものに違いない。ヨーロッパにとって異質な文化としてのロシアを、グローバルで先進的なテクノロジーの国として提示することで、同質の文化圏のものとしてプロパガンダする意味合いがあったものと思われる。
 
 ただ、このプロパガンダは、同性愛に対するロシアの対応への反発や、オリンピック後半にウクライナでの政治不安が高まったことによって、事実上うまく働かなかったと言えるように思える。特にソチにほど近いウクライナでの政治不安は、ソチでの平和とグローバルなメッセージを裏切って、現実的な葛藤の中にロシアがあることを明示したものであった。
 
 ソチオリンピックの夢はすぐに覚め、ロシアは現実の中に戻らなければならない。おそらくソチでの巨大開発と、数万人の規模の警備体制をとったことへの反動もあることだろう。オリンピック後のロシアの行方の方に、注目がなされなければならないだろう。